宮崎緑の再婚相手は公表なし!東大卒弁護士の元夫と3年で別れた理由とは

宮崎緑の再婚相手は公表なし!東大卒弁護士の元夫と3年で別れた理由とは

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元NHKキャスターで、今は千葉商科大学の学長を務める宮崎緑さん。

宮崎緑さんの再婚相手が気になって調べている方も多いのではないでしょうか。

実は、首相から祝電が届くほど華やかな結婚式を挙げた元夫とは、わずか3年で別れていたんです。

この記事を読むとわかること
・宮崎緑さんの再婚相手について今わかっていること
・元夫・椿康雄さんとの結婚から離婚までの経緯と理由
・息子や家族、学長としての現在の活動

宮崎緑の再婚相手は?元夫・椿康雄との結婚と離婚

宮崎緑さんの再婚相手について、今わかっていることを結婚から離婚までの流れと一緒に整理しました。

元夫がどんな人で、なぜ3年で別れることになったのかも詳しく見ていきますね。

再婚相手の情報は1991年の離婚以降見当たらない

まず結論からお伝えすると、宮崎緑さんの再婚相手に関する情報は、2026年9月時点で見つかっていません。

宮崎緑さんの結婚歴として報じられているのは、1988年の弁護士・椿康雄さんとの結婚と、1991年の離婚の1回だけです。

Wikipediaや千葉商科大学の公式プロフィールを見ても、再婚や現在のパートナーについての記載はありません。

結婚当時は「NHKの看板キャスターが東大卒の弁護士と結婚」と大きな話題になったので、もし再婚していればニュースになっていてもおかしくないですよね。

それが一切出てこないことを考えると、再婚はしていないか、少なくとも公表はしていないと見るのが自然かなと思います。

もともと宮崎さんはプライベートをあまり語らないタイプで、テレビでも私生活の話はほとんど出てきません。

そのぶん、離婚後の暮らしぶりが見えにくく、再婚しているのかどうかが気になって検索する人が多いのかもしれませんね。

項目 内容
結婚 1988年3月13日(宮崎さん30歳)
相手 椿康雄さん(東京大学出身の弁護士)
子供 1989年に長男が誕生
離婚 1991年
再婚 情報なし(公表されていない)

元夫・椿康雄は東京大学出身の弁護士

宮崎緑さんの元夫は、東京大学出身の弁護士・椿康雄さんです。

結婚した1988年当時、椿さんは35歳で、宮崎さんより5歳年上でした。

椿さんは1987年に弁護士登録をしていて、結婚したのは弁護士になって間もないころだったことになります。

その後、1991年に独立して自分の事務所を持ち、2003年には六本木ヒルズに法律事務所を構えるまでになりました。

六本木ヒルズといえば、当時は成功の象徴のような場所ですよね。

経歴だけ見ると、東大卒で六本木ヒルズに事務所を持つ弁護士という、絵に描いたようなエリートです。

人気キャスターとエリート弁護士の組み合わせは、当時まさに「お似合いの2人」として受け止められていたようです。

ただ、この元夫はのちに大きな事件の当事者になります。

そのお話は、このあとの見出しで詳しく書いていきますね。

椿康雄との馴れ初めと短い交際期間

2人の出会いは、椿さんの師にあたる先輩弁護士の紹介だったと伝えられています。

いわゆるお見合いに近い形で引き合わされたんですね。

そこから結婚までの期間はとても短く、いわゆる電撃結婚でした。

交際期間については、6カ月とする記事もあれば2カ月とする記事もあり、伝え方が分かれています。

どちらにしても、出会ってから1年もたたずにゴールインしたことになります。

当時の宮崎さんは『ニュースセンター9時』のメインキャスターを終えたばかりのころで、仕事の面でも大きな節目を迎えていました。

人生の転機に、紹介で出会った相手と一気に結婚を決めた……と考えると、なかなか思い切った決断ですよね。

短い交際期間での結婚だったことが、2人の結婚を語るうえで大事なポイントになっています。

ホテルオークラで挙げた1988年の結婚式

2人が結婚式を挙げたのは、1988年3月13日です。

会場は東京のホテルオークラで、なんと340人もの招待客が集まったといいます。

さらに、当時の内閣総理大臣だった竹下登さんから祝電が届いたそうです。

首相から祝電が届く結婚式なんて、ちょっと想像がつかない世界ですよね。

それだけ宮崎さんが国民的なキャスターだったということが、この一件からもよくわかります。

1982年にNHK『ニュースセンター9時』で初の女性メインキャスターに抜てきされ、6年間その席を務めた宮崎さんは、当時まさに時の人でした。

結婚式の華やかさは、宮崎さんが当時どれほどの有名人だったかを物語っています。

長男が生まれて鎌倉の実家で暮らした結婚生活

結婚後、2人は東京・大田区の田園調布にある高級マンションで新婚生活をスタートさせたと伝えられています。

そして1989年、2人の間に長男が誕生しました。

長男が生まれたあとは、神奈川県鎌倉市にある宮崎さんの実家に、親子3人で移り住んだそうです。

宮崎さんは神奈川県の出身で、小学校から高校までを湘南エリアで過ごしています。

子育てを始めるにあたって、なじみのある地元で実家の助けを借りられる環境を選んだのかもしれませんね。

仕事を続けながらの子育ては本当に大変なので、実家の近くで暮らせるのは心強かったと思います。

ただ、この鎌倉での3人暮らしは長くは続きませんでした。

長男の名前について

長男の名前を紹介している記事もありますが、一般の方なので、この記事では名前の掲載は控えますね。

離婚は1991年で理由は元夫のウソの多さ

2人の夫婦関係は、1990年ごろからぎくしゃくし始めたといわれています。

やがて椿さんが家を出る形で別居となり、1991年に離婚が成立しました。

結婚生活は3年あまりで、長男はまだ2歳前後だったことになります。

離婚の理由について、宮崎さんはのちに「非常に嘘の多い人だった」という趣旨の言葉で振り返っています。

複数の記事が、宮崎さんの言葉として「ウソが多い」という点を挙げているんですよね。

短い交際期間で結婚して、一緒に暮らすうちに相手の見えていなかった部分が見えてきた……ということなのかもしれません。

幼い子供を抱えての離婚は、正直、想像するだけで胸が締め付けられます。

離婚の理由として宮崎さん自身が語っているのは、元夫のウソの多さです。

元夫はその後に株価操縦事件でタイへ逃亡

離婚からしばらくたって、元夫の椿康雄さんは大きな事件の当事者になります。

東証マザーズに上場していた検査装置メーカー、オー・エイチ・ティー(OHT)の株価を不正につり上げたとされる株価操縦事件です。

2007年に逮捕状が出ると、椿さんは海外へ逃亡し、タイで暮らしていたとされます。

そして2016年8月、およそ9年の逃亡のすえにタイから強制送還され、逮捕されました。

年 出来事
1988年 宮崎緑さんと結婚
1991年 宮崎さんと離婚、弁護士として独立
2003年 六本木ヒルズに法律事務所を構える
2007年 株価操縦の疑いで逮捕状、タイへ逃亡
2016年8月 タイから強制送還され逮捕
2017年3月 さいたま地裁の初公判で起訴内容を認める
2017年6月 執行猶予付きの有罪判決

2017年3月の初公判で、椿さんは起訴内容を認めています。

同年6月には、さいたま地裁で懲役2年6カ月・執行猶予4年、罰金300万円などの判決が言い渡されたと報じられました。

元夫の事件が報じられたとき、宮崎さんとはすでに25年も前に離婚していたので、宮崎さん自身は事件とは無関係です。

それでも「あの宮崎緑さんの元夫」として名前が出てしまうのは、ちょっと気の毒ですよね。

離婚から25年後に元夫の逃亡劇が報じられたことで、宮崎さんの結婚歴があらためて注目されたという流れです。

再婚が検索される背景と名前の似た別人

宮崎緑さんの再婚について検索すると、ほかの人の再婚の話題が一緒に出てくることがあります。

たとえば、名前の似ているフリーアナウンサーの宮崎宣子さんは、離婚を経て再婚したことをインタビューで語っていて、その記事が検索結果に並びます。

また、同じ「宮崎緑」という名前で活動している別の方が、noteに離婚と再婚の体験をつづっている記事もあります。

こちらはビジネスコーチとして活動している方で、元NHKキャスターの宮崎緑さんとは別人です。

名前が同じだったり似ていたりすると、検索結果だけ見て「再婚したの?」と勘違いしやすいので注意したいところですね。

元NHKキャスターの宮崎緑さん本人の再婚を伝える情報は、今のところ見当たりません。

宮崎緑の再婚相手を調べる人向けの関連情報

ここからは、宮崎緑さんの再婚相手を調べている人がよく一緒に気にしている、息子さんや家族、今の活動についてまとめました。

息子は元夫との間に生まれた長男が1人

宮崎緑さんの子供は、元夫・椿康雄さんとの間に1989年に生まれた長男が1人と伝えられています。

2026年時点では30代後半になっている計算ですね。

離婚した1991年には長男はまだ2歳前後だったので、その後は宮崎さんが育てたとみられます。

ただ、息子さんは一般の方で、現在の職業や暮らしぶりについての情報は公表されていません。

宮崎さん自身も息子さんについて表立って語ることはほとんどなく、家族のプライバシーをしっかり守っている印象です。

夫との子供は長男1人で、息子さんの現在は公表されていないというのが今わかっていることです。

弟は大蔵省出身の官僚という話

宮崎緑さんには弟がいて、東京大学を卒業して大蔵省(現在の財務省)に入ったエリート官僚だという話がネット上にあります。

1984年に大蔵省に入り、国際関係の部署や欧州の国際金融機関などで経験を積んだという経歴も紹介されています。

ただ、この話を載せているのは一部のサイトに限られていて、宮崎さん本人や公的なプロフィールで確認できる情報ではありません。

もし本当なら、姉は国際政治学者、弟は国際金融の官僚という、国際派の姉弟ということになりますね。

弟が大蔵省出身というのは、あくまでネット上で伝えられている話として受け止めておくのがよさそうです。

父親や家族について分かっていること

宮崎緑さんの父親や母親について、名前や職業などの詳しい情報は公表されていません。

わかっているのは、実家が神奈川県鎌倉市にあるということです。

宮崎さんは湘南白百合学園小学校、横浜国立大学教育学部附属鎌倉中学校、神奈川県立湘南高校と、地元の名門校で学んでいます。

その後、慶應義塾大学法学部政治学科を卒業し、同じ大学の大学院で法学修士を取得しました。

娘を私立の小学校から通わせ、大学院まで進ませていることから、教育熱心なご家庭だったのではないかと想像できます。

長男が生まれたあとに実家へ移り住んでいることからも、親子の関係は良好だったのかもしれませんね。

家族 わかっていること
父親・母親 詳細は非公表、実家は鎌倉市
弟 大蔵省出身の官僚という話がある
元夫 椿康雄さん(1991年に離婚)
息子 1989年生まれの長男(一般の方)

今は千葉商科大学の学長を務めている

宮崎緑さんは今、千葉商科大学の第9代学長を務めています。

2024年10月に学長に選ばれ、2025年4月1日から2029年3月31日までの任期で就任しました。

同大学で初めての女性学長だそうです。

NHKを離れたあとは学問の道に進み、2000年に千葉商科大学の助教授として着任してから、教授、政策情報学部長、国際教養学部の初代学部長と歩んできました。

学外でも、国家公安委員会の委員や政府税制調査会の委員などを務めています。

2019年には、新元号「令和」を決める「元号に関する懇談会」の有識者メンバーにも選ばれました。

さらに鹿児島県の奄美パークの園長と、田中一村記念美術館の館長も兼ねていて、奄美の文化を伝える活動にも力を入れています。

キャスターから学者へ転身し、今は大学のトップとして活躍しているのが宮崎さんの現在です。

2016年の経歴詐称疑惑と大学の反論

2016年には、週刊誌で経歴詐称の疑いを報じられたこともありました。

1988年に東京工業大学の講師だったという経歴について、確認できないと書かれたものです。

これに対して千葉商科大学は経歴詐称の事実はないと発表し、別の週刊誌では、東京工業大学の学長名で出された1988年の辞令が示されています。

病気の噂に根拠はない

宮崎緑さんについて病気を心配する声が検索されていますが、病気を公表したという情報はありません。

Wikipediaや大学のプロフィールにも、病気や療養についての記載は見当たりません。

テレビで見かける機会が減ったことで、「体調を崩したのでは?」と心配する人が出てきたのかもしれませんね。

実際には、2025年から大学の学長という大役に就いていて、講演や奄美での活動も続けています。

病気の噂は根拠がなく、宮崎さんは今も第一線で仕事を続けています。

宮崎緑の再婚相手のまとめ

  • 宮崎緑の再婚相手に関する情報は2026年9月時点で見つかっていない
  • 報じられている結婚歴は1988年の1回だけ
  • 元夫は東京大学出身の弁護士・椿康雄
  • 結婚当時、宮崎緑は30歳、椿康雄は35歳
  • 出会いは椿康雄の師にあたる先輩弁護士の紹介とされる
  • 交際期間は6カ月説と2カ月説があり、いずれにしても電撃結婚
  • 結婚式は1988年3月13日にホテルオークラで挙げ、招待客は340人
  • 当時の首相・竹下登から祝電が届いたとされる
  • 1989年に長男が誕生し、鎌倉の実家で3人暮らしをしたとされる
  • 1991年に離婚し、理由は元夫のウソの多さと本人が振り返っている
  • 元夫は2007年に株価操縦の疑いでタイへ逃亡し、2016年に強制送還された
  • 元夫は2017年に執行猶予付きの有罪判決を受けたと報じられた
  • 名前の似た宮崎宣子や同名の別人の再婚話と混同されやすい
  • 弟は大蔵省出身の官僚という説がある
  • 現在は千葉商科大学の第9代学長で、同大学初の女性学長

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