画家バルテュスさんの夫人として知られる出田節子さんに、娘さんがいるのをご存じでしょうか。
その娘さんはヨーロッパの一流ジュエラーと組む宝飾デザイナーで、いまも母である節子さんと同じスイスの山荘で暮らしています。
絵の一家に生まれた娘さんが、なぜ石を彫る仕事を選んだのか。調べてみると、7歳のある一日にたどり着きました。
・出田節子の娘の名前・生年と、ジュエリーデザイナーとしての仕事
・娘が宝飾の道へ進んだきっかけと、母と同居している現在の暮らし
・息子はいるのか、孫は何人かなど周辺の疑問への答え
出田節子の娘ハルミはジュエリーデザイナー
出田節子さんの娘さんについて調べている方が、いちばん知りたいのは「どんな人で、いま何をしているのか」だと思います。
ここでは名前・生まれ年から職業、そして母娘の距離感まで、分かっていることを順番に見ていきますね。
娘は1973年生まれの一人娘
出田節子さんと画家バルテュスさんの間に生まれたお子さんは、1973年生まれの娘さんがひとりだけです。
日本語版のWikipediaでも、バルテュスさんの項目でも、記載されているお子さんは同じひとりの娘さんだけ。
複数のメディアが「おふたりには娘さんがひとり」と書いていて、ここは食い違いがありません。
つまり出田節子さんの子供は、娘さんの一人っ子です。
生まれた場所については、スイスのジュネーヴだと紹介されています。
節子さんが結婚したのが1967年ですから、結婚から6年目のお子さんということになりますね。
当時、夫のバルテュスさんはローマにあるヴィラ・メディチ(アカデミー・ド・フランス)の館長を務めていた時期にあたります。
つまりこの娘さんは、生まれてすぐイタリアの歴史的な館で暮らしはじめた、ということです。
普通の育ち方ではないですよね。
節子さん自身は1942年生まれなので、娘さんを産んだのは31歳ごろということになります。
名前はハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ
娘さんの名前はハルミ・クロソフスカ・ド・ローラ(Harumi Klossowska de Rola)さんです。
日本語の表記では「春美」と書かれることもあります。
苗字の「クロソフスカ・ド・ローラ」は父バルテュスさんの本名から来ていて、バルテュスさんの本名はバルタザール・ミシェル・クロソウスキー・ド・ローラといいます。
日本語の下の名前に、ポーランド貴族の流れをくむ姓。
名前だけで、この家族が置かれてきた場所が見えてくる感じがします。
メディアによって「ハルミ」と「春美」、「クロソフスカ」と「クロソウスカ」など表記が揺れているので、検索するときに引っかかりにくいのはそのせいですね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | ハルミ(春美)・クロソフスカ・ド・ローラ |
| 生年 | 1973年 |
| 出生地 | スイス・ジュネーヴ |
| 父 | バルテュス(画家) |
| 母 | 出田節子(画家) |
| 職業 | ジュエリーデザイナー |
| 拠点 | スイス・ロシニエール村ほか |
職業はジュエリーデザイナー
ハルミさんの職業はジュエリーデザイナーです。
人名事典のコトバンクによると、ロンドンとパリで学んだあと、デザイナーのジョン・ガリアーノさんのもとで仕事をして、そこから宝飾デザインの世界へ進んだとされています。
ファッションの現場を経てジュエリーに来た、という順番なんですね。
作品のモチーフになっているのは、自然と動物です。
WWDジャパンのインタビューでは、いちばん最初に作ったのがプーマの頭をかたどったジュエリーだったと本人が話しています。
そして「ネコ好きの父譲りで、私ネコ科の動物が好きみたい」とも。
バルテュスさんは猫を描いた作品でも知られる画家なので、この一言はちょっとぐっときますよね。
父から受け継いだものが、絵ではなく宝石の形で出てきている。
素材の使い方も独特で、木の化石とゴールドを組み合わせるなど、宝石だけで完結させないのが特徴です。
作品の価格帯と買える場所
同じインタビューによると、作品はイタリアの職人と作る一点物で、価格帯は2万〜8万ユーロ程度とされています。
日本円だと、取材当時のレートで約256万〜1024万円と紹介されていました。
為替で変わる数字なのであくまで目安ですが、桁として「一点物のアート作品」の価格帯だと考えるとイメージしやすいと思います。
取り扱いは、ロンドンのドーバー ストリート マーケットや、チューリッヒのセレクトショップ「トロワ・ポム」などが挙げられていました。
ブシュロンやショパールと組んだ実績
ハルミさんは自分のコレクションだけでなく、ヨーロッパの一流ジュエラーとのコラボレーションでも知られています。
名前が挙がるのはブシュロンとショパール。
ブシュロンとは、同ブランドが創業150周年を迎えた時期に依頼を受けてデザインを手がけたそうです。
本人いわく、それまで彫金の経験がなく、ブシュロンでいろいろと学んだとのこと。
すでにデザイナーとして名前が知られていた人が、現場で技術を教わりに行くという姿勢、なんかいいですよね。
日本との接点もあります。
WWDジャパンの取材時点から約10年前に「ヴァンドーム青山」とコラボし、石と中国の生地を組み合わせた花モチーフの限定ジュエリーを作ったと語っていました。
ファッションブランドとの仕事では、ヴァレンティノとオートクチュールのバッグでコラボレーションし、ヘビや動物をモチーフにしたデザインを担当しています。
そして2019年2月には、ヴァン クリーフ&アーペルが主催する「レコール ジュエリーと宝飾芸術の学校」の京都開催で、新作ジュエリーを展示しました。
日本で自身のコレクションが大々的に展示されたのは、このときが初めてです。
| 相手先 | 内容 |
|---|---|
| ブシュロン | 創業150周年の時期にジュエリーをデザイン |
| ショパール | 継続的にコラボレーション |
| ヴァンドーム青山 | 石と中国の生地を組み合わせた限定ジュエリー |
| ヴァレンティノ | オートクチュールのバッグをデザイン |
| ヴァン クリーフ&アーペル | 2019年「レコール」京都で新作を展示 |
宝飾の道へ進んだきっかけは義姉の存在
ここが個人的にいちばん面白いところなんですが、ハルミさんがジュエリーの世界に入ったきっかけは、母でも父でもありませんでした。
本人が挙げているのは異母兄タデさんの妻・ルル・ドラ・ファレーズさんへの憧れです。
ルルさんはイヴ・サンローランのミューズとして知られたモデルで、ハルミさんから見れば義理の姉にあたります。
子どもの頃、その義姉がアフガニスタン製のカフを着けていたのを見て、それがずっと印象に残っているそうです。
「彼女のジュエリーやファッションのセンスはもちろんのこと、人としてもとても魅力的で素晴らしい人でした」と振り返っています。
もうひとつ、7歳のときの記憶も語られていました。
父の画商だったクロード・ベルナールさんのパリのギャラリーに行くと、ちょうど自分の目線と同じ高さのテーブルに、クリスタルやルビーやエメラルドが並べられていた。
それを何時間も眺めていた、と。
「まるで夢の中で宝石の森を歩いている気持ちで、ジュエリーは石の魔法の世界そのものだと思いました」という本人の言葉が残っています。
7歳で見た石の並び方が、そのまま仕事になっている。
画家の家に生まれた娘が絵ではなく石を選んだ理由は、身近な女性への憧れと、幼い日の一場面にありました。
母と同じ山荘で暮らす親子の距離
出田節子さんと娘のハルミさんは、いまも同じ場所で暮らしています。
住まいはスイス・ロシニエール村にある山荘「グラン・シャレ」。
1700年代半ばに建てられた建物で、スイス最大級の木造建築として紹介されることもある場所です。
T JAPANの記事によれば、ハルミさんはこの山荘で、パートナーで写真家のブノワ・ペヴェレリさん、子どもたち、そして母の節子さんとともに暮らし、仕事をしているとされています。
大人になって独立した娘が、母と同じ屋根の下で制作を続けている。
……なんか、いいですよね。
節子さん自身は夫の死後、この山荘とパリのアトリエを行き来する二拠点の生活を送っています。
なお、ハルミさんは日本の文化についても母から受け取ったものがあると話しています。
WWDジャパンの取材では「母からはわびさびのようなものを学んだ」「京都の寺院の庭や日本特有のふすまなど、あらゆるディテールに引かれます」と語っていました。
母は着物で暮らす日本人画家、娘はスイスで石を彫るデザイナー。
住む世界は違うように見えて、受け渡されているものはちゃんとある感じがします。
ヴィラ・メディチで過ごした幼少期
ハルミさんが最初に住んだ家は、ローマのボルゲーゼ公園のはずれにある広大なルネサンス様式の館、ヴィラ・メディチでした。
父バルテュスさんが館長を務めていた場所です。
T JAPANの記事では、子どもの頃に写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンさんに撮影してもらい、映画監督のフェデリコ・フェリーニさんとお茶を飲み、デヴィッド・ボウイさんが父にインタビューするのを見た、というエピソードが紹介されています。
芸術家や映画監督がひっきりなしに訪ねてくる家。
正直、想像がつかない少女時代です。
出田節子の娘を調べる人向けの関連情報
ここからは、娘さんと一緒によく検索されている疑問をまとめて見ていきます。
息子の有無、旦那さん、お孫さん、そして節子さん自身の現在や生い立ちまで、気になるところを順番に片づけていきますね。
子供は娘ひとりで息子はいない
「出田節子 息子」で検索されることが多いのですが、節子さんとバルテュスさんの間に生まれたお子さんは娘のハルミさんだけです。
節子さんが産んだ息子さんの記録は、Wikipediaにも各メディアの記事にも出てきません。
では、なぜ「息子」で検索されるのか。
理由はおそらく次に説明する、バルテュスさんの前の結婚にあります。
節子さんの子供は娘ひとり、ただし夫のバルテュスさんには前妻との間に息子がいます。
ここが混ざりやすいポイントなんですよね。
娘には父の前妻が産んだ異母兄がいる
バルテュスさんは節子さんと結婚する前、1937年にアントワネット・ド・ワットヴィルさんと結婚しています。
日本語版のWikipediaには、この結婚で息子のスタニスラス・クロソウスキー・ド・ローラさんが生まれたと書かれています。
スタニスラスさんは、のちにバルテュスさんの作品集の出版にあたって執筆を担当した人物です。
一方、ハルミさん本人はインタビューのなかで「異母兄だったタデ」という別の名前を出しています。
タデ・クロソフスキーさんは、前述したルル・ドラ・ファレーズさんの夫です。
日本語版のWikipediaはスタニスラスさんの名前しか挙げていないので、前妻とのお子さんが何人なのかについては、日本語のソース間で記述が揃っていません。
ここは断定を避けておきます。
はっきりしているのは、ハルミさんには父バルテュスさんの前の結婚で生まれた異母の兄がいる、ということです。
つまり節子さんから見れば、夫の連れ子にあたる存在ですね。
旦那はフランスの画家バルテュス
節子さんの旦那さんは、フランスの画家バルテュス(1908年2月29日〜2001年2月18日)さんです。
ピカソに「二十世紀最後の巨匠」と称えられた画家で、少女像や猫を描いた作品で知られています。
ふたりが出会ったのは1962年。
パリで開かれる日本美術展の作品を選ぶために来日したバルテュスさんと、上智大学に通っていた20歳の節子さんが東京で出会いました。
年齢差は34歳。
しかも当時のバルテュスさんは、まだ前妻と離婚していない状態でした。
結婚まで5年かかったのは、そういう事情があったからです。
1967年に結婚してからは、アカデミー・ド・フランスの館長を務める夫を支えてローマで15年暮らし、1977年にスイスのグラン・シャレへ移りました。
バルテュスさんが亡くなったのは2001年、92歳のときです。
葬儀にはU2のボノさんや、スーパーモデルのエル・マクファーソンさんらが参列したと伝えられています。
なお、生前のバルテュスさんは節子さんに毎日着物を着るよう勧めていて、「日本女性は着物を着るようにできている」と話していたそうです。
節子さんが今も和服を貫いているのは、その延長にあるんですね。
孫は娘が育てている子供たち
節子さんのお孫さんは、娘のハルミさんのお子さんたちにあたります。
ただ、人数と性別については、ソースによって書かれていることが違います。
T JAPANの記事では、ハルミさんがグラン・シャレで「ふたりの息子たち」と暮らしていると紹介されています。
一方、WWDジャパンのインタビューではハルミさん本人が「日本で息子と娘の七五三を祝ったこともあるくらい」と語っていました。
前者だと息子ふたり、後者だと息子と娘。
取材の時期も違いますし、どちらかが誤りとも言い切れないので、ここでは人数を断定しないでおきます。
確実に言えるのは、節子さんにはお孫さんがいて、娘さん一家と同じ山荘で暮らしているということです。
お孫さんたちは公の場で活動している人ではないので、名前や年齢といった情報は公表されていません。
ちなみにハルミさんは、家では子どもが食事中にスマートフォンを見たらペナルティーを払う決まりにしていると話していました。
「未来を作る世代がすっかり自然から切り離されているのは、とても不幸なこと」というのが本人の考え方だそうです。
芸術一家の食卓にもそういうルールがあるのかと思うと、ちょっと親近感がわきませんか。
現在は84歳でパリとスイスの二拠点
出田節子さんは1942年生まれで、2026年6月の時点で84歳と紹介されています。
現在の本名はセツコ・クロソフスカ・ド・ローラさん。
肩書きは画家、随筆家、作陶家、そしてバルテュス財団の名誉会長です。
夫が亡くなった翌年の2002年にバルテュス財団を発足させ、名誉会長に就任。
2005年にはユネスコから「平和芸術家」に任命されています。
暮らしはスイスのグラン・シャレとパリのアトリエの二拠点。
驚くのはその活動量で、パリの一流メゾンのショーではフロントロウに招かれる存在です。
米『ハーパーズ バザー』の記事では、デザイナーのハイダー・アッカーマンさんと友人で、彼のショーではティモシー・シャラメさんの隣に座り、個展のオープニングパーティーではティルダ・スウィントンさんと談笑していると紹介されていました。
同誌のエディターは「常にカラフルな着物を完璧に身に纏い、髪を後ろにまとめ赤いリップを塗っている彼女は、人混みの中でもすぐ見つけることができる」と評しています。
さらに建築家のピーター・マリノさんは「彼女は楽しい時間が大好きで、遅くまで起きて踊ることが好き」とコメント。
これ、節子さんが82歳のときの記事なんですよ。
……80代でその評され方、すごくないですか。
節子さん自身も1970年から絵を描きはじめ、画家・陶芸家として評価されています。
2013年にはアスティエ・ド・ヴィラットとのコラボレーションを開始し、陶器のオブジェや食器、パフュームキャンドルも手がけてきました。
日本でも和の暮らしをテーマにした書籍を複数出しています。
若い頃は上智大学の学生だった
節子さんの若い頃は、東京の学生でした。
森村学園高等部を卒業し、上智大学外国語学部フランス語学科へ進学。
バルテュスさんと出会ったのは、その在学中の20歳のときです。
そして大学は中退しています。
34歳年上の外国人画家と結婚するために大学を辞めるという選択、1960年代の日本ではかなり思い切った決断だったはずです。
ただ、その伏線らしきものが本人の言葉に残っています。
節子さんは15歳のとき、母親に対して「当時一般的だったお見合い結婚は受け入れない」と宣言したそうです。
そのときこう説明したといいます。
「私は人生すべてを捧げられる男性と結婚したいと説明しました。最も困難で最も劇的で、最も不可能な愛。シェイクスピアの物語の中で私のお気に入りは『ロミオとジュリエット』」
15歳でこれを母親に言い切るの、なかなかの胆力ですよね。
トルストイやスタンダールを愛読していたとも伝えられていて、ドラマティックな人生への憧れは早くからあったようです。
つまり20歳での運命的な出会いは、突然の心変わりではなく、10代からの一貫した価値観の延長線上にありました。
生い立ちは東京、先祖は熊本の菊池一族
節子さんの生い立ちについては、生まれは東京です。
ただ、ルーツをたどるともうひとつの土地が出てきます。
熊本県菊池市の公式発表によると、節子さんは先祖が菊池市出田(いでた)の出身で、菊池一族の末裔にあたるとされています。
旧姓の「出田」が、そのまま地名として残っているんですね。
これは噂話ではなく、自治体が公式サイトで出したプレスリリースに明記されている内容です。
2025年にふるさと菊池応援大使へ
菊池市は2025年10月24日、節子さんを「ふるさと菊池応援大使」の第3号として任命すると発表しました。
任命式は同年10月27日、菊池市隈府にある廣現寺で行われ、その後に文化講演会「故郷」が開催されています。
節子さんは以前にも菊池市の観光大使を務めていて、今回あらためて応援大使として任命された形です。
スイスの山荘で暮らす84歳の画家が、熊本の小さな地名とつながっている。
家系の話としては、けっこうロマンがありますよね。
なお節子さんには、日本の芸能界との縁もあります。
Wikipediaによれば、勝新太郎さんと中村玉緒さん夫妻とは、バルテュスさんが「座頭市」のファンだった縁で自宅に招くなどの交遊があり、夫の没後も親交が続いているとのことです。
出田節子の娘のまとめ
- 出田節子の娘は1973年生まれのハルミ(春美)・クロソフスカ・ド・ローラ
- 生まれはスイスのジュネーヴで、節子とバルテュスの間の一人娘
- 職業はジュエリーデザイナーで、自然と動物をモチーフにした作品で知られる
- ロンドンとパリで学び、ジョン・ガリアーノのもとで働いたのち宝飾の世界へ
- 初めて作ったのはプーマの頭をかたどったジュエリー
- ブシュロン、ショパールなどヨーロッパの一流ジュエラーとコラボしている
- ヴァレンティノとはオートクチュールのバッグでコラボ
- 2019年にヴァン クリーフ&アーペル主催のレコール京都で日本初の本格展示
- 作品はイタリアの職人と作る一点物で、価格は2万〜8万ユーロ程度とされる
- 宝飾の道に進むきっかけは、異母兄タデの妻ルル・ドラ・ファレーズへの憧れ
- 現在はスイスの山荘グラン・シャレで母の節子とともに暮らし制作している
- 節子が産んだ息子はおらず、ハルミの異母兄は父バルテュスの前妻の子
- 節子の孫はハルミの子供たちだが、人数と性別はソースによって記述が異なる
- 節子は1942年生まれで、画家・随筆家・バルテュス財団名誉会長として活動中
- 節子の先祖は熊本県菊池市出田の出身で、2025年にふるさと菊池応援大使に任命された

