作家の有吉玉青さんについて調べていると、必ずと言っていいほど出てくるのが結婚の話題です。
実は、お相手の名前も職業も、これまで一度も表に出ていません。
それでいて、結婚が決まったことが人生の大きな転機になっていたというから、ちょっと驚きますよね。
・有吉玉青さんが結婚している事実と、夫について分かっていること
・夫の海外赴任に同行してニューヨークで過ごした時期のこと
・結婚が決まった頃に、25年ぶりで父・神彰さんと再会した話
有吉玉青の結婚と夫について分かっていること
有吉玉青さんの結婚については、公表されている情報がとても少ないんです。
ここでは、確認できる事実だけを順番に整理していきますね。
結婚したことは複数のプロフィールに記載
まず大前提として、有吉玉青さんが結婚しているのは事実です。
百科事典系のプロフィールにも、出版社が出している著者紹介にも、結婚して夫とともに渡米したという経歴がはっきり書かれています。
ただ、結婚した年月日は公表されていません。
分かっているのは、結婚したあと海外赴任する夫について渡米し、ニューヨークなどに滞在したということだけなんですね。
時系列を並べてみると、おおよその見当はつきます。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1963年 | 11月16日、東京都杉並区に生まれる |
| 1984年 | 大学3年時、イギリス留学中に母・有吉佐和子が急逝 |
| 1989年 | 『身がわり-母・有吉佐和子との日日』で第5回坪田譲治文学賞 |
| 1992年 | ニューヨーク大学大学院演劇学科修士課程を修了 |
| 1993年 | 留学を終えて帰国 |
| 1994年 | 初の長編小説『黄色いリボン』を発表 |
1992年にニューヨークの大学院を修了しているので、その前には結婚してアメリカへ渡っていたことになります。
つまり20代後半、デビュー作を出したのとほぼ同じ時期に結婚していたと考えるのが自然です。
あくまで公表された経歴から逆算した見方ではありますが、大きくは外れていないはずですよ。
夫の名前や職業は公表されていない
ここが、検索している方がいちばん知りたいところだと思います。
結論から言うと、夫の名前・年齢・職業・顔写真は、どれも公表されていません。
百科事典にも、出版社の著者紹介にも、インタビュー記事にも、お相手を特定できる情報は出てきません。
唯一の手がかりが「海外赴任した夫とともに渡米した」という一文です。
海外赴任という言葉が使われているということは、当時、海外勤務のある勤め先にいた方だと読み取れます。
有吉玉青さんは母や祖母、そして父のことを何冊もの本に書いてきた方ですが、夫については同じように前面に出してはいないんですね。
お相手が表舞台の人ではないことを考えると、これは自然な距離の取り方なのかなと思います。
夫の海外赴任に同行してニューヨークへ
結婚後の暮らしで分かっているのが、アメリカでの生活です。
夫の海外赴任に同行する形で渡米し、一時期はニューヨークに滞在していました。
面白いのは、この滞在が結果として作家・有吉玉青を作った時間になっていることです。
ボストンにいた時期に小説を書きたいという志を持つようになったと本人が語っていて、その延長線上に帰国後の長編デビューがあります。
夫の転勤についていった先で、自分の仕事の芯が決まったわけですね。
……なんだか、いい話だなと思いませんか。
1992年にニューヨーク大学大学院演劇学科を修了
滞在中、有吉玉青さんはただ暮らしていたわけではありませんでした。
ニューヨーク大学大学院の演劇学科に進み、1992年に修士課程を修了しています。
日本では早稲田大学第一文学部の哲学科を卒業し、そのあと東京大学文学部の美学藝術学科に学士入学して卒業、さらに東京大学の大学院にも進んだという経歴の持ち主です。
そこにニューヨークの大学院が加わるのですから、学びの量が並ではありません。
1993年に留学を終えて帰国し、翌1994年に初の長編小説『黄色いリボン』を発表しました。
本名は清水玉青と記載されている
プロフィールを読んでいると、もうひとつ結婚に関わりそうな記述が出てきます。
本名は清水玉青と記載されているんです。
有吉玉青は、作家だった母・有吉佐和子さんの姓を引き継いだ書き手としての名前ということになります。
ただし、清水という姓がいつ、どういう経緯のものなのかは説明されていません。
結婚と結び付けて考えたくなるところですが、そこを裏づける発表は見当たらないので、ここは断定せずに置いておくのがいいと思います。
結婚が決まった頃に父・神彰と25年ぶりに再会
そして、結婚の話でいちばん語られているのがこのエピソードです。
有吉玉青さんは生まれてすぐに両親が離婚していて、父・神彰さんの顔も知らずに育ちました。
母と祖母との3人暮らしで、父とは連絡さえ取っていない状態が続きます。
その断絶が動いたのが、結婚が決まった時期でした。
親族のすすめもあって、25年ぶりに父と会うことになったんです。
初対面の印象として本人が挙げているのが、父がすっかり老人の風貌だったという驚きでした。
正直、これは胸にくるものがありますよね。
神彰さんは、旧ソ連のボリショイ・バレエなどを日本に招いた国際的なプロモーターとして知られた人物で、のちに居酒屋チェーンの「北の家族」を経営しています。
再会したあとは何度も顔を合わせるようになり、有吉玉青さんは父を「おもしろい人」と感じるようになったと語っています。
最後には「親父」と呼ぶようになり、父もその呼び方を受け入れていたそうです。
結婚が決まらなければ、この時間は生まれていなかったかもしれません。
再会を勧めたのは伯父だった
この再会は、有吉玉青さんが自分から動いて実現したものではありませんでした。
会ってみてはどうかと勧めたのは伯父だったと本人が明かしています。
結婚という節目が来たからこそ、周囲もそう言いやすかったのだろうと思います。
父と過ごした時間はその後8年ほど続いたとも語られていて、失われた25年に対しては短い時間だったのかもしれません。
それでも、この再会が後年の作品につながっていきました。
子供がいるかどうかも公表されていない
結婚とセットで検索されやすいのが、お子さんの話題です。
こちらも調べてみたのですが、子供がいるかどうかについての公表はありません。
有吉玉青さんは母・有吉佐和子さん、祖母、そして父・神彰さんという家族について何度も書いてきた方ですが、自分の家庭のことは同じようには書いていないんですね。
夫のことも子供のことも語らない、という一貫した線が引かれている印象です。
有吉玉青の結婚を調べる人向けの関連情報
ここからは、有吉玉青さんの結婚を調べている方が続けて気になりやすいところをまとめます。
作品と家族の話がそのまま人物像につながっていきますよ。
デビュー作『身がわり』で坪田譲治文学賞
有吉玉青さんの名前を世に出したのが、1989年の『身がわり-母・有吉佐和子との日日』です。
この作品で第5回坪田譲治文学賞を受賞しました。
当時は東京大学の大学院に在学中で、まだ25歳でした。
きっかけは1986年、出版社から母についてのエッセイを依頼されたことだったと語られています。
母を亡くしたのは20歳のとき、イギリスに留学している最中でした。
20年間ともに暮らした母のことを書いたこの一冊を経て、ようやく母を理解できるようになったと本人が振り返っています。
祖母を描いた『ソボちゃん』という一冊
家族を書いた作品としては、『ソボちゃん いちばん好きな人のこと』も外せません。
母・有吉佐和子さんは執筆に専念していて家事をいっさいせず、玉青さんを実際に育てたのは祖母でした。
秘書のように母を支えながら、孫を育てた人だったと語られています。
タイトルの「いちばん好きな人」という言葉に、その距離の近さがそのまま出ていますよね。
父との再会をもとにした『ルコネサンス』
父・神彰さんとの再会は、のちに小説になりました。
集英社から刊行された自伝的小説『ルコネサンス』です。
刊行を記念して阿川佐和子さんとの対談も行われ、小説家を親に持つ二人という切り口で語り合っています。
父と娘は永遠の恋人と言われるけれど、それはどういう意味なのか。
その問いをフィクションの形で確かめたかったと本人が話していて、書いているうちに事実を書いているのか創作を書いているのか分からなくなってきたとも語っています。
異母姉弟の関係を描いた『美しき一日の終わり』など、家族の距離を扱った作品はほかにもあります。
現在は大阪芸術大学教授として教えている
いまの有吉玉青さんの肩書きは作家だけではありません。
2008年から大阪芸術大学の教授を務め、文章表現を教えています。
生まれも育ちも杉並で、いまも住まいは杉並だと語っていて、2002年の『キャベツの新生活』には東高円寺が登場します。
街の記憶がそのまま作品になるタイプの書き手なんだなと感じます。
そのほか、『恋するフェルメール 36作品への旅』のような美術をめぐる著作もあり、書く対象はかなり幅広いです。
母は作家の有吉佐和子、父は興行師の神彰
最後に、両親のことを整理しておきますね。
| 続柄 | 人物 | 主な肩書き |
|---|---|---|
| 母 | 有吉佐和子 | 作家。『恍惚の人』『複合汚染』などで知られる |
| 父 | 神彰 | 興行師。国際的なプロモーターを経て居酒屋チェーンを経営 |
二人は玉青さんが生まれた直後に離婚し、玉青さんは母のもとで育ちました。
母が亡くなったのは53歳という若さでした。
なお、玉青という名前は中国の政治家・廖承志によって名づけられたと伝えられています。
両親のどちらも強烈な個性の持ち主で、その二人を書くことが仕事になったというのが、この方の歩みなんだと思います。
有吉玉青の結婚のまとめ
- 有吉玉青は結婚しており、夫とともに渡米した経歴がプロフィールに記載されている
- 結婚した年月日は公表されていない
- 夫の名前・年齢・職業・顔写真はいずれも公表されていない
- 唯一の手がかりは「海外赴任した夫とともに渡米した」という記述
- 渡米後は一時期ニューヨークなどに滞在した
- 1992年にニューヨーク大学大学院演劇学科の修士課程を修了
- 1993年に帰国し、翌1994年に初の長編『黄色いリボン』を発表
- ボストン滞在中に小説を書きたいという志を持ったと語っている
- 本名は清水玉青とプロフィールに記載されている
- 結婚が決まった時期に、25年ぶりで父・神彰と再会した
- 再会を勧めたのは伯父だったと本人が明かしている
- 父は国際的なプロモーターを経て居酒屋チェーンを経営した人物
- 子供がいるかどうかについての公表はない
- 1989年『身がわり』で第5回坪田譲治文学賞を受賞した
- 2008年から大阪芸術大学教授として文章表現を教えている

