なかにし礼さんの前妻がどんな人だったのか、気になって検索した方も多いのではないでしょうか。
2度の結婚をしたなかにし礼さんですが、最初の妻はまだ何者でもなかった夫を経済的に支え続けた女性でした。
その方が離婚後にたどった人生まで知ると、少し胸が熱くなると思いますよ。
・なかにし礼の前妻・清水秀子の経歴と、結婚から離婚までの流れ
・なかにし礼側が語った離婚理由と、前妻が著書で語った結婚生活
・離婚後に前妻が歩んだ人生と、再婚相手や子供3人の家族構成
なかにし礼の前妻・清水秀子と離婚までの5年間
「なかにし礼さんの前妻ってどんな人だったの?」という疑問に、まずはここでまとめて答えていきますね。
作詞家として世に出る前のなかにし礼さんを支えたのが、最初の妻・清水秀子さんでした。
前妻は元モデルの清水秀子
なかにし礼さんの前妻、つまり最初の奥さんは清水秀子さんという女性です。
一般人ではなく、テレビCMや雑誌広告を中心に活躍していたモデルさんでした。
1960年代前半といえば、テレビが家庭に一気に広がっていった時代。
その時代にCMや雑誌の仕事を任されていたということは、当時としてはかなり売れっ子だったと考えていいと思います。
清水さんについては、生年を1940年とする資料があります。
これが正しければ、1938年9月2日生まれのなかにし礼さんとは2歳差ということになりますね。
ただしこの生年はひとつの資料にしか見当たらなかったので、参考程度に受け取ってください。
前妻・清水秀子さんは、なかにし礼さんが有名になる前から一緒にいた無名時代のパートナーだったというのが、まず押さえておきたいポイントです。
一般人ではなく顔が知られていた側だった
芸能人の元妻というと一般女性であることが多いのですが、清水さんの場合は逆でした。
結婚した当時、世間に顔が知られていたのは清水さんのほうだったんですよね。
なかにし礼さんはまだ大学生で、シャンソンの訳詞を細々と手がけている段階。
このバランスが、のちの夫婦関係を考えるうえで地味に大きい要素になっていきます。
立教大学在学中の1963年に結婚
2人が結婚したのは1963年のことです。
このときなかにし礼さんは立教大学に在学中で、いわゆる学生結婚でした。
25歳前後で、まだ肩書らしい肩書を持っていない時期。
大学生が売れっ子モデルと結婚する、と聞くと、当時の周囲もかなり驚いたんじゃないかなと思います。
なかにし礼さんはこの頃、シャンソンの訳詞家として仕事を始めたばかりでした。
のちに数々の名曲を生む人ですが、この時点ではまだ何者でもなかったわけです。
2人の結婚生活は、夫の成功を待つところからスタートしたということになりますね。
モデル収入で夫の学費と生活費を支えた
ここがこの夫婦の話でいちばん語られる部分です。
結婚当初のなかにし礼さんは、本人が振り返るところの貧乏学生で、駆け出しの訳詞家。
収入は安定していませんでした。
その間、家計を回していたのは清水さんのモデル収入でした。
なかにし礼さんの大学の学費も、2人の生活費も、清水さんが働いて賄っていたと伝えられています。
これ、想像すると結構すごい話ですよね。
自分は毎日撮影現場に出て稼ぎ、その稼ぎで夫を大学に通わせ、夫は将来の見えない訳詞の仕事を続けている。
支える側の覚悟がないと成立しない生活です。
のちの大作詞家・なかにし礼を経済的に下支えしたのが、前妻の清水秀子さんだったという事実は、もっと知られていい部分だと思います。
1966年の別居と1968年の離婚成立
順調に見えた夫婦でしたが、長くは続きませんでした。
時系列で整理すると、こうなります。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1963年 | なかにし礼が立教大学在学中に清水秀子と結婚 |
| 1966年 | 長女が誕生/同年に別居 |
| 1968年 | 離婚が成立 |
| 1971年 | 石田ゆりと再婚 |
婚姻期間はおよそ5年。
ただし1966年にはすでに別居しているので、一緒に暮らしていた時間は3年ほどということになります。
そして注目したいのが、別居した1966年に長女が生まれているという点です。
子どもが生まれた年と、別居した年が同じなんですよね。
これはなかなか重い事実だと思います。
前妻との間に生まれた一女
なかにし礼さんと清水秀子さんの間には、1966年に女の子が1人生まれています。
名前や現在の職業といった情報は公表されていません。
一般の方として生活されているのだと思いますが、この娘さんが後年どうなったかについては、清水さんの側の記録に手がかりが残っています。
本人が語った離婚理由は生き方の違い
では、なぜ2人は別れることになったのか。
なかにし礼さんの側から語られている理由は、大きく2つに整理できます。
ひとつは仕事に対する考え方が全く違っていたこと。
もうひとつは、拭い去れない生き方の違いを感じるようになったこと、です。
具体的には、清水さんが流行歌の作詞を手がけることに強く反対していたと伝えられています。
なかにし礼さんはもともとシャンソンの訳詞から出発した人でした。
そこから歌謡曲の世界へ踏み出そうとしたときに、妻がそれを良しとしなかった、という構図ですね。
なぜ流行歌への反対が決定的になったのか
ここは少し補足が要ると思います。
1960年代当時、シャンソンの訳詞と歌謡曲の作詞では、世間的な扱いがまったく違いました。
前者は文化的で高尚なもの、後者は大衆向けの商売もの、という空気があったんですね。
清水さんの反対は、単なる好き嫌いというより、あなたが目指していたのはそこじゃないでしょう、という気持ちだったのではないか、と時系列からは推測できます。
一方のなかにし礼さんにとっては、そこが食べていける道であり、表現の場でもありました。
どちらが間違っていたという話ではなく、進みたい方向がはっきり分かれてしまったのが離婚の核心だったのだと思います。
実際、なかにし礼さんはこの後まもなく作詞家として大成功していきます。
支えてもらった時代が終わったタイミングで、価値観のずれが表に出てしまった。
そう考えると、少し切ない話ですよね。
著書それからのわたしで語った結婚生活
離婚から長い時間が経った2004年6月、清水秀子さんは自身の半生を語った本を出しています。
タイトルは『それからのわたし』。
清水さんが語り、ノンフィクション作家の高山文彦さんが文章にするという形で作られた一冊です。
内容は、実の親の顔を知らずに育った幼少期から、モデルになり、なかにし礼さんと出会い、そして別れるまで。
さらにその後の人生までが本人の言葉で語られています。
つまりなかにし礼さんの前妻について、本人の口から語られた記録が残っている珍しいケースなんですね。
この本の中で清水さんは、結婚生活のつらかった部分についても率直に語っています。
夫が作詞家として世に出たあとの家庭の状況や、すれ違いが積み重なっていった経緯などです。
ただ、ここで扱っている内容はあくまで清水さん側から語られたものです。
離婚の当事者は2人いますし、なかにし礼さん側からの説明は前の項目で紹介した生き方の違いでした。
どちらか一方の語りだけを事実と断定することはできないという点は、押さえておきたいところです。
夫婦の別れというのは、外から見て正解を決められるものではないですからね。
離婚後は渡米して美容の道へ
『それからのわたし』というタイトルが示すとおり、清水さんの人生は離婚で終わりませんでした。
離婚成立の翌々年にあたる1970年1月、清水さんは単身でアメリカへ渡っています。
行き先はニューヨーク。
まず語学学校に通い、その後は美容学校へ進みました。
そこで美容とメイクアップの資格を取得し、現地で美容の仕事を始めています。
30歳前後で言葉も通じない国へ渡り、ゼロから手に職をつけたわけです。
……これ、正直かっこよくないですか。
支える側だった人が、自分の名前で立つ側になった話なんですよね。
1978年に娘をニューヨークへ呼び寄せた
もうひとつ、心に残るエピソードがあります。
1978年、清水さんは日本にいた娘さんをニューヨークへ呼び寄せています。
離婚から10年、渡米から8年後のことです。
生活の基盤を作り、娘を迎えられる状態になるまでにかかった時間が、この8年という数字なのだと思います。
なかにし礼さんの前妻は、離婚後に異国で人生を立て直し、娘との暮らしを取り戻した人だったということになりますね。
なお、これらの経緯は『それからのわたし』の紹介文に基づくもので、他の資料での裏付けは確認できませんでした。
なかにし礼の前妻を調べる人向けの関連情報
ここからは、前妻について調べている人が続けて気になるであろう、その後の話をまとめていきます。
再婚相手や子どもの人数、家族構成まで一気に整理しますね。
結婚歴は2回で1971年に石田ゆりと再婚
なかにし礼さんの結婚歴は2回です。
1度目が1963年の清水秀子さんとの結婚、2度目が1971年10月16日の石田ゆりさんとの再婚。
離婚から3年ほどで再婚していることになります。
このとき、なかにし礼さんは33歳前後、石田ゆりさんは19歳でした。
出会いは1970年春、東京・赤坂にあった芸能プロダクション「芸映」でのオーディションだったと伝えられています。
作詞家として審査する側にいたなかにし礼さんが、新人歌手として来ていた石田さんを見て、歌はダメだから僕の嫁さんになりなさい、と声をかけた、というのが語られている馴れ初めです。
そして石田さんは、その場ではい、なります、と答えたのだとか。
え、そんなことある?って感じですよね。
ちょっと出来すぎた話にも思えますが、実際に翌年には結婚しています。
なかにし礼さんは2度目の結婚を、亡くなるまで約49年間続けたことになります。
再婚相手の石田ゆりはいしだあゆみの妹
再婚相手の石田ゆりさんについても整理しておきますね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 石田由利子 |
| 生年月日 | 1951年11月23日 |
| 出身地 | 大阪府池田市 |
| 職業 | 元歌手・元女優 |
| 姉 | いしだあゆみ |
そう、石田ゆりさんはいしだあゆみさんの実の妹なんです。
ここ、知らなかった人も多いんじゃないでしょうか。
石田ゆりさんは歌手としてシングルを4枚出しており、その全曲の作詞をなかにし礼さんが手がけています。
仕事のパートナーから夫婦になった、という流れですね。
結婚したのは19歳のとき。
そのタイミングで芸能界を引退し、以後は家庭に入りました。
なかにし礼さんは晩年、妻についてよき友であり、戦友であり、きょうだいであり、ときに母親であり、共犯者だと語り、結婚は最高だと断言していたと伝えられています。
1度目の結婚では価値観の違いで別れた人が、2度目では約半世紀を添い遂げたというのは、なんだかじんわりくる対比ですよね。
がん闘病を支え介護うつも経験していた
石田ゆりさんは、なかにし礼さんの闘病生活も支え続けました。
なかにし礼さんは2012年に食道がんを発症し、2015年に再発しています。
長い介護生活のなかで、石田さん自身も介護うつを発症していたと語られています。
その後、精神腫瘍科の医師に相談することで回復したそうです。
これはきつかったでしょうね……。
支える側の心が削られていくことは、外からはなかなか見えないですから。
子供は前妻との一女を含めて3人
なかにし礼さんの子供は何人なのか、という疑問もよく検索されています。
答えを整理すると、こうなります。
| 母 | 子ども |
|---|---|
| 前妻・清水秀子 | 長女(1966年生まれ) |
| 再婚相手・石田ゆり | 長男・康夫、長女・夏奈子 |
つまりなかにし礼さんの子どもは合計3人ということになります。
ネット上で2人と書かれていることがあるのは、石田ゆりさんとの間の子どもだけを数えているためですね。
前妻との一女を含めれば3人が正しい数え方です。
ここは記事によって数え方が違うので、混乱しやすいポイントかなと思います。
長男の康夫は音楽プロデューサー
石田ゆりさんとの間に生まれた長男が、中西康夫さんです。
職業は音楽プロデューサー。
作詞家の父と、元歌手の母。
その間に生まれて音楽の道へ進んだというのは、環境を考えれば自然な流れだったのかもしれません。
長男は、母である石田ゆりさんについて、人生のすべてをなかにし礼に捧げていた、常になかにし礼ファーストだった、という趣旨の証言を残しています。
家族の内側を知る人の言葉なので、説得力がありますよね。
長女の夏奈子さんについては、フランス人と結婚しているという情報があります。
こちらは表に出る仕事をされていないため、公表されている情報は多くありません。
家族に影を落とした14歳年上の兄
なかにし礼さんの家族を語るうえで外せないのが、14歳年上の兄の存在です。
なかにし礼さんは1938年、満洲国の牡丹江市で生まれました。
終戦後の引き揚げでは何度も命の危険に遭い、8歳のときに北海道の小樽へたどり着いています。
その後、兄の事業が失敗したことで東京と青森を転々とし、中学生になってから東京・品川区の大井町に落ち着きました。
この兄はのちに多額の負債を抱え、その債務をなかにし礼さんが背負うことになったと伝えられています。
前妻との結婚生活が経済的に苦しかった背景には、こうした家族の事情もあった可能性があります。
ただし借金の時期と結婚生活の時期がどこまで重なっていたかは、はっきりした記録が見当たりませんでした。
ここは推測として受け取ってください。
なお、この兄との関係はなかにし礼さん自身が自伝的小説『兄弟』として作品化しています。
家族の重さを、そのまま作品に変えてしまう人だったんですね。
なかにし礼さんは2020年12月23日、心筋梗塞のため東京都内の病院で亡くなりました。
82歳でした。
27歳のときにすでに心臓疾患を発症していたという情報もあり、体との付き合いは長かったようです。
なかにし礼の前妻のまとめ
- なかにし礼の前妻は元モデルの清水秀子
- 清水秀子はテレビCMや雑誌広告を中心に活動していた
- 生年は1940年とする資料があるが単独情報
- 結婚は1963年で、なかにし礼は立教大学に在学中だった
- 当時のなかにし礼は駆け出しのシャンソン訳詞家だった
- 学費と生活費は清水秀子のモデル収入で賄われていたとされる
- 1966年に長女が誕生し、同じ年に別居している
- 離婚が成立したのは1968年で婚姻期間は約5年
- なかにし礼側が語る離婚理由は仕事観と生き方の違い
- 清水秀子が流行歌の作詞に強く反対していたとされる
- 清水秀子は2004年に『それからのわたし』を出版している
- 離婚後の1970年1月に単身で渡米しニューヨークへ移った
- 現地で美容とメイクアップの資格を取り美容の仕事を始めた
- 1978年に日本にいた娘をニューヨークへ呼び寄せたとされる
- 再婚相手は1971年10月16日に結婚した元歌手の石田ゆり
- 石田ゆりはいしだあゆみの実妹で本名は石田由利子
- 子供は前妻との一女と石田ゆりとの2人を合わせて3人
- 長男の中西康夫は音楽プロデューサーとして活動している
- なかにし礼は2020年12月23日に心筋梗塞のため82歳で死去

