盲ろうの東大教授として知られる福島智さんの前妻が、どんな人だったのか気になっている方は多いのではないでしょうか。
前妻の光成沢美さんは手話通訳士で、結婚生活のあいだ、妻であると同時に夫のただ一人の指点字通訳者でもありました。
点字の文通から始まった2人の出会いから、ドラマにもなった夫婦の日々、離婚と再婚までを順番に見ていきましょう。
・福島智さんの前妻・光成沢美さんのプロフィールと出会い
・妻と指点字通訳の二役を担った結婚生活のエピソード
・離婚の時期と2015年の再婚相手
福島智の前妻・光成沢美のプロフィールと結婚生活
福島智さんの前妻は、手話通訳士の光成沢美さんです。
出会いから結婚、妻と通訳を一人で背負った日々、そして離婚までを順番に見ていきましょう。
前妻は手話通訳士の光成沢美
全盲ろうの東大教授として知られる福島智さんの最初の妻は、手話通訳士の光成沢美(みつなりさわみ)さんです。
1995年に結婚し、のちに離婚したことがWikipediaにも記されています。
光成さんは広島の大学を卒業したあと、手話通訳者を目指して専門の訓練を受けた方です。
福島さんと結婚してからは、夫のそばで指点字の通訳と生活の介助を担い続けました。
また、光成さんは夫婦の日々をつづったエッセイ『指先で紡ぐ愛』の著者でもあります。
この本がきっかけでドラマにもなったので、名前を聞いたことがある方もいるかもしれませんね。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 光成沢美(みつなりさわみ) |
| 職業 | 手話通訳士・盲ろう者向け通訳・介助者 |
| 学歴 | 広島の大学を卒業 |
| 結婚 | 1995年に福島智さんと結婚(のちに離婚) |
| 著書 | 『指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも』(講談社・2003年) |
2006年には、障害者福祉の月刊誌『ノーマライゼーション』に「盲ろう者向け通訳・介助者」の肩書で寄稿もしています。
通訳者として、そして妻として、福島さんの人生に深く関わった女性だったんです。
福島智さんの前妻は、手話通訳士として夫の言葉を支え続けた光成沢美さんということになります。
出会いは手話通訳者を育てる学校の講義
2人の出会いは、ちょっと意外な場所でした。
広島の大学を出た光成さんは、埼玉県所沢市にある国立身体障害者リハビリテーションセンター学院で、手話通訳者になるための訓練を受けていました。
そこへ講師としてやって来たのが福島智さんです。
福島さんは自分の体験をもとに、目が見えず耳も聞こえないという重い重複障害について学生たちに教えていました。
つまり最初の関係は、先生と生徒だったんですね。
15人のうち1人だけ続いた点字の文通
福島さんの特別講義の一環として、学生たちと福島さんとの間で点字の手紙のやりとりが始まりました。
最初は15人の学生全員が福島さんに点字の手紙を書いていたそうです。
でも慣れない点字で書き続けるのは大変で、1人、また1人とやめていきました。
そんな中、最後まで文通を続けたのが光成さんでした。
高校時代に使っていた点字板をわざわざ広島の実家から送ってもらい、1通を書き上げるのに3日かけたこともあったといいます。
……なんか、いいですよね、こういう始まり方。
言葉を交わすたびにお互いを知っていく、文通ならではの距離の縮まり方だったのかなと思います。
関西人らしいユーモアに引き込まれた
神戸市出身の福島さんは、とにかく人を笑わせたいタイプ。
その関西人気質は相当なもので、小学生のころは真面目なガリ勉タイプだったという光成さんの文体まで、すっかり変えてしまったと言われています。
点字の手紙を最後まで書き続けた1人が、のちの妻になったというわけです。
1995年に結婚した2人
文通を通じて距離を縮めた2人は、1995年に結婚しました。
このとき福島さんは東京都立大学の大学院を修了したあとで、大学教員を目指していた時期です。
同じ1995年には、福島さん自身の著書『渡辺荘の宇宙人』(素朴社)も出版されています。
2003年に光成さんの本が出た時点で「結婚10年」と紹介されているので、2人は少なくとも10年以上、夫婦として歩んできたことになります。
プロポーズの言葉や結婚式の詳細は公表されていません。
ただ、光成さんの本には2人の出会いの章があり、そこで結婚までの経緯がつづられています。
講師と学生として出会った2人は、文通を経て1995年に夫婦になりました。
妻であり唯一の指点字通訳者だった金沢時代
結婚の翌年、福島さんの夢がかないます。
1996年夏に東京都立大学の助手になり、同じ年の12月には金沢大学教育学部の助教授に迎えられることが決まりました。
ここから光成さんの生き方が大きく変わっていきます。
光成さんは、福島さんのただ一人の指点字通訳・介助者として金沢へ移り住みました。
講義も会議も日常生活も、福島さんの言葉を届けるのは光成さんの指先だけだったんです。
大学の面接で問われた「奥さんか、通訳者か」
金沢大学への就職が決まる前には、大学の教官たちによる面接が行われました。
光成さんの本には、そのときのやりとりを書いた「奥さん」か、通訳者か、という節があります。
手話通訳者には肩や腕を痛める職業病があるけれど、指点字の通訳は大丈夫なのかと聞かれたとき、光成さんは「今、私が人体実験中ですので……」と答えたそうです。
笑いを交えた返しですが、読んでいて胸が痛くなりました。
外泊すれば夫の無事が確認できない
当時は、光成さんと交代できる通訳者が一人もいない状態でした。
光成さんが家を空けると、帰るまで夫が無事かどうかを確かめる手段がありません。
長いメールを送れる携帯電話が発売されたときには、それを手に入れるために金沢市内のショップを何軒も回ったというエピソードも残っています。
それでも少しずつ周りの協力が増え、ひとり親家庭の子どもを「ホームフレンド」として家に招くこともできるようになっていきました。
金沢時代の光成さんは、妻と通訳と介助のすべてを一人で引き受けていたのが実態です。
東大への移籍と「仕方なく」のひと言
2001年4月、福島さんは東京大学先端科学技術研究センターの助教授に就任します。
全盲ろうの人が東大の教員になるのは初めてで、マスメディアでも大きく取り上げられました。
ただ、この移籍は光成さんにとって、金沢で築いてきた居場所をいったんリセットすることでもありました。
2002年1月には、朝日新聞が福島さんと光成さんの大きな記事を掲載しています。
そこで紹介されたのが、東京行きが決まったときの「私はね、仕方なく東京について行くんだからね!」という光成さんのひと言でした。
そりゃ言いたくもなりますよね、それまで積み上げてきたものを置いていくわけですから。
記事から生まれた妻たちのネットワーク
この朝日新聞の記事には読者から大きな反響があり、障害のある夫をもつ妻たちのネットワーク「生糸の会」が生まれるきっかけにもなりました。
光成さん一人の悩みではなく、同じ立場の人がたくさんいたということなんですね。
通訳を他の人に任せられるように
東大の先端研では、3年ほどの間に指点字通訳者5人を含むスタッフ10人の研究室が作られました。
福島さんの研究活動は大学が雇ったスタッフが支えるようになり、光成さんは他の盲ろう者の通訳をしたり、アメリカ手話や英語を勉強したりと、自分の時間を持てるようになっていきます。
東京への移籍は、光成さんが一人で抱えていた通訳を手放していく転機にもなりました。
前妻が書いた本『指先で紡ぐ愛』
朝日新聞の記事を読んだ講談社の編集者に勧められ、光成さんは本を書くことになります。
それが2003年7月に出版された『指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも』です。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 書名 | 指先で紡ぐ愛 グチもケンカもトキメキも |
| 著者 | 光成沢美 |
| 出版社 | 講談社 |
| 発売日 | 2003年7月14日 |
| ページ数 | 253ページ |
福島さんの文章や講演記録も引用しながら、夫婦の日常をユーモアたっぷりに描いた一冊です。
本に書かれた夫婦のエピソード
本の中には、思わず笑ってしまう場面がたくさん出てきます。
- 光成さんの誕生日には、毎年高級レストランや料亭でごちそうを食べる習慣があった
- お酒に酔ってご機嫌な福島さんの横で、光成さんは無事に連れて帰らなきゃと気を張っていた
- 夫婦ゲンカになると、光成さんの指点字を打つスピードが速くなる
- ケンカの途中で福島さんが突然「司会者」に変身して、まとめに入ってしまう
- ドアチェーンをかけてしまった事件や、指点字誕生の秘話も収録
ケンカの当事者なのに司会まで始めちゃうって、福島さんらしいですよね。
プロローグに書かれた本音
一方で、本の冒頭には重い本音も書かれています。
障害者の夫をもつ妻は優しく明るく強くあるべきだという世間の期待を感じ、その通りに振る舞わなければならなかったこと。
弱音を吐けば夫の評価が下がるのでは、夫が離れていくのでは、という不安をいつも抱えていたこと。
そして自分の欲求を抑えて生きる癖がついた結果、途方にくれてうつ状態になった時期があったことも明かしています。
そんな光成さんに、福島さんは「君の存在そのものが僕にとっては重要なんだ」という言葉をかけていました。
……じんわりきますよね、この言葉。
『指先で紡ぐ愛』は、笑える日常と妻としての葛藤の両方を正直に書いた本だったんです。
夫婦の物語は2006年にドラマ化
光成さんの本は、2006年にテレビドラマになりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| タイトル | 指先でつむぐ愛 |
| 放送日 | 2006年3月10日 |
| 放送局 | フジテレビ系 |
| 原作 | 光成沢美 |
| 脚本 | 寺田敏雄 |
| 光成沢美役 | 田中美佐子 |
| 福島智役 | 中村梅雀 |
ほかにも佐野史郎さん、野際陽子さんらが出演しています。
目も耳も不自由な大学助教授と、指点字で夫を支える妻の夫婦愛を描いた作品でした。
本はコミックにもなっていて、こちらはかなり脚色が入っているそうです。
前妻の本はドラマやコミックにまでなり、2人の夫婦像は広く知られることになりました。
家を出た1か月と「本当の家族」
ドラマが放送された2006年、光成さんは月刊誌『ノーマライゼーション』に寄稿し、通訳者と妻という2つの役割の間でさまよう気持ちをつづっています。
外の場では通訳者として場を回すことにエネルギーを使い、家に帰れば妻に戻る。
その切り替えの難しさが、正直に書かれていました。
夫婦ともに心の不調を経験していた
この時期は、福島さん自身も心の不調を抱えていました。
2005年ごろには適応障害と診断されて休職し、ゼミが開かれなかったこともあったそうです。
2010年5月の毎日新聞の記事を紹介したブログによると、光成さんも夫の日常生活から通勤、講義まで通訳を担う中で、うつ状態に陥っていたといいます。
「誰か、奥さん役を交代して」
同じ記事では、光成さんが「誰か、奥さん役を交代して」という思いを抱え、1か月ほど家を出た時期があったことも伝えられています。
ただ、その経験を経て、夫婦は「本当の家族になれた」と感じていたそうです。
これは…正直、読んでいて言葉が出ませんでした。
2010年の時点では、2人は危機を乗り越えて夫婦を続けていたことになります。
離婚した時期と理由は公表されていない
福島さんと光成さんが離婚したことはWikipediaにも記載がありますが、離婚した年や理由は公表されていません。
手がかりになるのは時系列です。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1995年 | 光成沢美さんと結婚 |
| 2003年 | 光成さんが『指先で紡ぐ愛』を出版 |
| 2006年 | ドラマ「指先でつむぐ愛」放送 |
| 2010年 | 新聞記事で「本当の家族になれた」と紹介される |
| 2015年 | 20歳以上年下の指点字通訳者と再婚 |
2010年の時点ではまだ夫婦だったことが分かっていて、2015年には再婚しています。
この並びから考えると、離婚は2010年から2015年までの間だった可能性が高いと推測できます。
理由についても、本人たちは何も語っていません。
ただ、光成さんが本や寄稿で書いてきた「妻と通訳の二役」の重さを思うと、2人がそれぞれの生き方を選んだのかもしれない、と感じる人は多いのではないでしょうか。
これはあくまで私の受け止め方で、事実として確認されたものではありません。
離婚の時期と理由は非公表で、時系列から2010年代前半と推測できる程度です。
福島智の前妻を調べる人向けの関連情報
ここからは、前妻について調べている人がよく一緒に検索している、子供や再婚相手、現在の活動についてまとめます。
前妻との間に子供はいる?
福島さんと光成さんの間に子供がいるという情報は、本や記事、Wikipediaのどこにも見当たりません。
光成さんの本や書評で語られている家庭の話は、夫婦2人のやりとりが中心です。
子供に関する話として出てくるのは、金沢時代にひとり親家庭の子どもを「ホームフレンド」として家に招いていたエピソードです。
春に届いた苺を、その女の子と一緒に食べたという話も残っています。
前妻との間に子供がいるという情報はなく、子供の話として伝わっているのはホームフレンドの女の子のことです。
再婚相手は指点字通訳者の香菜絵
福島さんは、2015年に20歳以上年下の指点字通訳者の女性と再婚しています。
同じ年に本間一夫文化賞を受賞しており、公私ともに大きな節目の年だったといえます。
福島さんを「福ちゃん」と呼ぶナミねぇこと竹中ナミさんのブログでは、6月に再婚した新しい奥さんとして「香菜絵ちゃん」という名前が紹介されています。
月刊誌『致知』9月号に掲載された福島さんと母・令子さんの対談では、その香菜絵さんが指点字で通訳をサポートしていたそうです。
前妻の光成さんと同じく、再婚相手も指点字の通訳者なんですね。
再婚相手は、指点字で福島さんの言葉を支える20歳以上年下の香菜絵さんです。
本人の現在は東大先端研の教授
福島さんは現在、東京大学先端科学技術研究センターの教授として、バリアフリーの研究を続けています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 生年月日 | 1962年12月25日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市 |
| 学歴 | 筑波大学附属盲学校高等部、東京都立大学人文学部を卒業 |
| 学位 | 2008年に博士(学術)を取得 |
| 現職 | 東京大学先端科学技術研究センター教授(2008年10月から) |
| 主な役職 | 全国盲ろう者協会理事、世界盲ろう者連盟アジア地域代表 |
2003年にはアメリカのTIME誌で「アジアの英雄」に選ばれ、松井秀喜さんや坂本龍一さんらと並びました。
2022年には、福島さんと母・令子さんの実話をもとにした映画『桜色の風が咲く』が公開され、小雪さんが母親役を演じています。
福島さんは今も東大の教授として、盲ろう者の研究と支援の第一線にいます。
母・福島令子が考案した指点字
福島さんと家族を語るうえで欠かせないのが、母の令子さんです。
福島さんが18歳で耳も聞こえなくなったとき、とっさの思いつきで生まれたのが指点字でした。
点字タイプライターのキーを打つ要領で、相手の指を直接たたいて言葉を伝える方法です。
令子さんが考えたこの方法は改良が重ねられ、今では全国の盲ろう者が使うコミュニケーション手段の一つになっています。
1996年には、令子さんと福島さんがそろって吉川英治文化賞を受賞しました。
前妻の光成さんも、再婚相手の香菜絵さんも、この指点字で福島さんとつながってきたんですね。
母が考えた指点字が、2人の妻と福島さんを結ぶ言葉になっていました。
本人が盲ろうになった経緯
福島さんが全盲ろうになるまでの経緯も整理しておきます。
| 年齢 | 出来事 |
|---|---|
| 生後5か月 | 目の病気を患う |
| 3歳 | 右目を失明 |
| 9歳 | 左目も失明し全盲に |
| 18歳 | 特発性難聴で失聴し、全盲ろうに |
18歳で音を失ったのは1981年、筑波大学附属盲学校高等部に在学していたころです。
光も音もない世界に置かれた福島さんが、その後大学に進み、東大教授にまでなったのは、令子さんの指点字と、その後に支えた通訳者たちの存在があったからこそです。
9歳で光を、18歳で音を失った福島さんを、言葉の面で支え続けたのが母と2人の妻でした。
福島智の前妻のまとめ
- 福島智の前妻は手話通訳士の光成沢美
- 2人は国立身体障害者リハビリテーションセンター学院の講師と学生として出会った
- 15人の学生のうち、点字の文通を最後まで続けたのが光成沢美だった
- 1995年に結婚
- 金沢大学時代、光成沢美は唯一の指点字通訳・介助者だった
- 大学の面接では「奥さんか、通訳者か」を問われた
- 2001年の東大移籍時に「仕方なく東京について行く」と語った
- 2002年の朝日新聞の記事がきっかけで妻たちのネットワークが生まれた
- 2003年に夫婦の日常をつづった『指先で紡ぐ愛』を出版
- 2006年に田中美佐子と中村梅雀の主演でドラマ化
- 2010年の新聞記事では、1か月家を出た経験を経て「本当の家族になれた」と紹介
- 離婚の時期と理由は非公表で、2010年代前半と推測される
- 前妻との間に子供がいるという情報はない
- 2015年に20歳以上年下の指点字通訳者・香菜絵と再婚したとされる
- 指点字は母・福島令子が考案した方法

