「天皇の執刀医」として知られる心臓外科医の天野篤さん。
その息子さんについて調べると、職業や名前がまったく出てこないことに気づきます。
実は天野さんが公の場で息子さんについて語った記録はごくわずかで、そこで明かされていたのはテニス中の大けがの話でした。
・天野篤の息子について本人が語った唯一のエピソードと、その結末
・息子の名前・年齢・職業がどこまで公表されているのか
・「息子は消化器内科医」という情報がどこから広まったのか
天野篤の息子について分かっていること
「天皇の執刀医」として知られる天野篤さんに、息子さんがいることはご存じでしたか。
ここでは、天野さん本人が公の場で語った内容をもとに、息子さんについて確認できることだけを整理していきます。
存在が明かされたのは週刊誌の取材
天野篤さんに息子さんがいることが公になったのは、2022年8月31日に配信された「週刊現代」のインタビューでした。
「頼りになる医者はどこにいる?」という連載の第1回で、天野さんが自ら信頼する名医を紹介するという企画です。
この取材の中で、天野さんは「息子が大けがをしたときもお世話になりました」と切り出しています。
つまり息子さんの存在は、天野さんが誰かに家族構成を問われて答えたものではなく、別の医師を紹介する流れの中で、本人の口から自然に出てきた話なんですね。
ここ、意外と大事なポイントだと思います。
天野さんはメディア露出が非常に多い方で、テレビ・ラジオ・書籍と数え切れないほど発信をしてきました。
それでも家族の話はほとんど表に出していません。
この2022年のインタビューは、その中でも数少ない「息子さんについて本人が語った記録」ということになります。
アキレス腱断裂を救った父の一本の電話
では、その「大けが」とは何だったのか。
天野さんの説明はこうです。
「数年前にテニスのプレイ中にアキレス腱を断裂してしまったんです。息子から急に電話がかかってきたので、すぐに加藤先生に連絡を取りました」
テニスの最中にアキレス腱を断裂、というのがけがの内容でした。
アキレス腱断裂は、手術を選ぶケースも多く、復帰までに数か月かかることもある大きなけがです。
息子さんはその場で父親に電話をかけた。
そして天野さんは、自分が心臓外科医であって整形外科の専門ではないと分かっているからこそ、すぐに信頼できる整形外科医へ連絡を回したわけです。
……ここ、ちょっとぐっときませんか。
日本トップクラスの外科医であっても、わが子のけがに対してできるのは「一番いい医者につなぐこと」なんですよね。
連絡先となった加藤正二郎氏はどんな医師か
天野さんが電話をかけた相手は、江戸川病院院長の加藤正二郎さんという整形外科医です。
天野さんによれば、加藤さんは日本大学医学部の後輩にあたり、気心の知れた医師の一人だといいます。
標準治療の経験が豊富なうえ、再生医療のような最先端の治療法にも精通している点を、天野さんは高く評価していました。
実は天野さん自身も、坐骨神経痛になった際に加藤さんの治療を受けています。
硬膜外ブロック注射から神経根ブロック注射へと段階を上げ、最後は幹細胞治療という再生医療で再発を防いだ、という経緯を語っていました。
親子そろって同じ医師を頼っている、というわけですね。
手術せず1ヵ月でテニス復帰した治療
気になるその後ですが、結論から言うと息子さんは手術を受けずに回復しています。
天野さんは当初、「手術になっても信頼できる」という思いで加藤さんに連絡したそうです。
ところが加藤さんからの返事は、天野さんの予想とは違うものでした。
「江戸川病院で行っている再生医療であれば、手術はしなくて済むかもしれない」
天野さんはすぐに息子さんを江戸川病院へ向かわせます。
結果は、手術なし、患部に注射を打つだけで治療は終了。
しかも天野さん本人の言葉によれば、1ヵ月後にはテニスができるまでに回復したといいます。
アキレス腱を断裂してから1か月でラケットを握れるようになったというのは、正直かなり驚きの回復スピードです。
現在確認できる「天野篤の息子」に関する具体的な出来事は、このアキレス腱断裂と再生医療による回復の一件だけです。
なお、この治療の内容はあくまで天野さんが語った個別のケースであり、同じけがをした人が同じ経過をたどるとは限りません。
治療方針は状態によって変わるものですので、その点はご注意くださいね。
名前・年齢・職業は公表されていない
ここが多くの方の知りたいところだと思うのですが、先にはっきり書いておきます。
息子さんの名前・年齢・職業・勤務先は、いずれも公表されていません。
天野さんの著書やインタビュー、順天堂大学の公式情報、大手メディアの報道を確認しても、息子さんの個人情報に触れたものは見当たりませんでした。
先ほどのアキレス腱のエピソードでも、天野さんは終始「息子」としか呼んでいません。
年齢についても直接の言及はありませんが、けがをした状況からある程度のことは読み取れます。
テニスのプレー中にアキレス腱を断裂し、電話で父親に連絡し、自分で江戸川病院へ向かっている。
つまり取材当時(2022年)の時点で、すでに独立して行動している成人だったと考えるのが自然でしょう。
天野さんが1955年生まれで、取材時は67歳でした。
そこから逆算すれば、息子さんは30代前後だった可能性があります。
ただしこれはあくまで公開情報からの推測で、確定した情報ではありません。
一般の方であることへの配慮
天野さんがここまで家族の情報を出さないのは、息子さんが芸能人でも公人でもない一般の方だからでしょう。
医療者として個人情報の重みを誰よりも理解している立場ですから、身内についても線引きが徹底しているのだと思います。
この記事でも、公表されている範囲を超える情報は扱いません。
消化器内科医という情報が広まった理由
ネット上では「天野篤さんの息子は消化器内科医」という情報を見かけることがあります。
ここ、実際に調べてみたところこの説には根拠がなく、別の医師の発言と混同されたものだと分かりました。
順を追って説明しますね。
検索エンジンで「天野篤 息子」と調べると、医師紹介サイト「ドクターゲート」のページが表示されます。
その説明文には天野さんの経歴が並び、その直後に「息子は消化器内科を専門としていますが……」という一文が続いて見えるんです。
これだけ見れば、誰でも天野さんの発言だと思いますよね。
ところが実際にそのページを開いて本文を確認すると、様子が違いました。
問題の一文が載っているのは、複数の医師のインタビューがまとめて掲載されている月別アーカイブのページだったのです。
そして「息子は消化器内科を専門としています」と語っていたのは、天野さんではなく麻酔科・ペインクリニックを専門とする別の開業医でした。
その発言の直前には「先生のお子さんもドクターとのことですが、承継はされないのでしょうか?」という質問があり、クリニックの後継ぎをどうするかという文脈で語られています。
天野さんは大学病院の心臓血管外科医であって、承継する開業医院を持っていません。
質問の内容からしても、天野さんへの取材でないことは明らかでした。
念のため天野さんのインタビュー本体(2016年1月16日掲載分)も最後まで確認しましたが、息子さんに関する言及は一切ありませんでした。
検索結果の抜粋表示で、たまたま2人の医師の話が隣り合ってしまった。
それだけのことが、いつのまにか「天野篤の息子は消化器内科医」という情報として独り歩きしてしまったようです。
医師を継いだかどうかは確認できない
では、息子さんは父と同じ医師の道に進んだのでしょうか。
ネット上には「父と同じ心臓外科医を志して医師免許を取得し、現在も医療現場で研鑽を積んでいる」といった記述を載せているサイトもあります。
ただ、そうしたページをたどっても「〜と報じられている」という伝聞の形で書かれているだけで、どの媒体がいつ報じたのかを示した記述は一つも見つかりませんでした。
大手メディアの報道、順天堂大学の公式情報、天野さんの著書のいずれにも、息子さんが医師であるという記載はありません。
つまり現時点で言えるのは、息子さんが医師かどうかは確認できない、ということだけです。
天野さん自身は、父親が心臓弁膜症を患っていたことをきっかけに医師を志し、3浪の末に日本大学医学部へ進んだ人です。
親の期待と自分の意思の間で長く揺れた経験を持っているからこそ、息子さんの進路については語らないという選択をしているのかもしれません。
もっとも、これも記事を書いている側の見方にすぎませんので、そのつもりで読んでいただければと思います。
息子への態度からうかがえる親子関係
具体的なエピソードが1つしかない中でも、親子の距離感が伝わってくる部分はあります。
けがをした瞬間に息子さんが真っ先に電話をかけた相手が、父である天野さんだったという事実です。
日本トップクラスの外科医が父親という関係は、正直プレッシャーもあるはずですよね。
それでも困ったときにすぐ連絡できる。
そして父親のほうも、即座に後輩医師へ連絡を入れて手を回している。
……いい親子関係だな、と思いました。
天野さん自身は、若い頃に自分の父親の心臓手術に助手として参加しながら、人工弁の装着ミスで父を亡くすという経験をしています。
その人工弁を今も形見として持ち続けている方です。
家族の命を救えなかった悔いを抱えてきた人が、今度は自分の息子のけがに対して最善の医師を即座につないだ。
そう考えると、あの一本の電話の重さが少し違って見えてきませんか。
天野篤の息子を調べる人向けの関連情報
ここからは、息子さん以外のご家族や天野篤さん自身の近況など、あわせて検索されることの多い情報をまとめていきます。
子供は何人で娘はいるのか
息子さん以外にお子さんがいるのかどうか、気になりますよね。
結論としては、天野篤さんの子供の人数について、公式に発表された情報は確認できませんでした。
ネット上には天野さんの著書『熱く生きる』の感想として、結婚して一男一女をもうけながらも家庭は相当に犠牲になった、という趣旨を書いている個人ブログがあります。
ここから「息子と娘が1人ずつ」という情報が広まっているようです。
ただしこの記述は個人ブログの読書メモの中にあるもので、大手メディアや公式プロフィールで裏づけを取ることはできませんでした。
娘さんについても、天野さん本人が公の場で語った記録は見つかっていません。
確実に言えるのは「息子さんが少なくとも1人いる」という点だけです。
妻と結婚について語られていること
天野さんの奥さまについても、名前・職業・結婚した時期といった具体的な情報は公表されていません。
ただ、家庭に時間を割けなかったという趣旨の話は各所で語られています。
天野さんは30歳ごろから、手術が終わった直後に手術記録をつける習慣を続けてきた方です。
年間600例を執刀していた時期もあり、多い日には1日に4件の手術に入っていました。
通算の執刀数は9000例以上とされています。
この働き方で家庭に十分な時間を割くのは、現実的にかなり難しかったはずです。
医師としての実績の裏側には、支えていたご家族の存在があったということなんでしょうね。
父親は弁膜症で亡くなっている
「天野篤 息子」と並んでよく検索されているのが、天野さんの父親についてです。
天野さんの実家は埼玉県南埼玉郡蓮田町(現・蓮田市)の燃料店で、天野さんはその長男として1955年10月18日に生まれました。
父親は石炭やガスを扱う燃料商として働いていましたが、天野さんが中学に入る頃から体を悪くしていきます。
高校2年生のとき、父親は弁膜症による心不全で呼吸困難を起こし、東京大学病院に入院しました。
このとき天野さんは、医師になって父の病気を治すと決心したといいます。
そして大学時代、天野さんは父親の心臓手術に助手として参加しました。
しかしこの手術で人工弁の装着ミスが起き、父親は帰らぬ人となっています。
天野さんは現在もこの人工弁を、父の形見として手元に保管しているそうです。
これはもう、言葉が出ませんよね。
自分が助手として入った手術で父を失い、その原因となった器具を持ち続ける。
「神の手」と呼ばれるようになった今の天野さんの原点が、ここにあるのだと思います。
弟と妹がいる3人きょうだいの長男
天野さん自身のきょうだい構成も整理しておきます。
天野さんは長男で、下に妹と弟がいる3人きょうだいです。
母親は華道の家元でもあった方で、名前は「よ志子」さんといいます。
2013年の産経新聞の記事では、父親が燃料商として働きながら、妻のよ志子さん(当時91歳)とともに3人の子供を育てたと紹介されていました。
母親は教育熱心で、天野さんが水泳好きだったことから「地元の公立中学校にはプールがないよ」と諭し、埼玉大学教育学部附属中学校へ進ませたという逸話も残っています。
| 続柄 | 分かっていること |
|---|---|
| 父 | 燃料店を営む。婿養子。弁膜症により、天野が助手を務めた手術で死去 |
| 母 | 名前はよ志子。華道の家元。2013年時点で91歳 |
| 本人 | 3人きょうだいの長男。1955年10月18日生まれ |
| 妹・弟 | それぞれ1人ずついる。詳細は非公表 |
現在は特任教授と銀座クリニック代表
天野さんの現在の活動も、あわせて確認しておきましょう。
天野さんは2021年3月末に順天堂大学医学部心臓血管外科の主任教授を定年退職し、翌4月から特任教授に就任しました。
名誉教授にはならず、一人の心臓外科医として順天堂医院で執刀を続ける道を選んでいます。
2022年の取材時点では2日に1回ほど手術に入り、年間約180例を執刀していました。
現場に立ち続ける理由を、天野さんはこう語っています。
「まだ体力や視力は保たれていますし、なにより自分しかできない術式もあります。他でできないと言われた方もふくめて一人でも多く救い続けることで恩返しをしたいのです」
銀座の再生医療クリニック代表理事に
もう一つ、近年話題になったのが美容・再生医療クリニックへの参加です。
天野さんは2023年1月に東京・銀座で開院した「RiCarna Clinic」の代表理事を務めています。
再生医療・足病治療・美容医療の3本柱を掲げるクリニックで、2025年11月には一部メディアが「上皇の執刀医が美容外科に再就職」と報じ、注目を集めました。
これに対して天野さんは、次のように説明しています。
「私は、再生医療・美容医療の分野に再就職したわけではありません。心臓外科医としての仕事が、いまも医師活動の中心です」
心臓外科医としての仕事が現在も中心であり、クリニックの代表理事はそれと並行した活動だという立場ですね。
ちなみに息子さんのアキレス腱を治したのも再生医療でした。
身近な家族が最先端の治療で救われた経験が、今の活動と無関係ではないのかもしれません。
順天堂医院の院長を退任した理由
「順天堂 天野 院長 退任 理由」という検索も多いので、あわせて触れておきます。
天野さんが順天堂大学医学部附属順天堂医院の院長を務めたのは、2016年4月から2019年3月までの3年間です。
この院長退任について、不祥事やトラブルがあったという報道は確認できませんでした。
そして2021年3月末の主任教授退職は、大学の規定による定年退職です。
天野さんは1955年生まれですので、年齢的にも自然なタイミングでした。
後任の心臓血管外科主任教授には、2021年12月に田端実さんが就任しています。
天野さんが名誉教授を選ばず特任教授として現場に残ったことが、「なぜ退いたのか」という関心を呼んだ面もあるのかもしれませんね。
天野篤の息子のまとめ
- 天野篤の息子の存在は、2022年8月の週刊現代のインタビューで本人が語ったもの
- 息子は数年前にテニスのプレー中にアキレス腱を断裂している
- けがの際、息子は父である天野篤に直接電話をかけた
- 天野篤はすぐに江戸川病院院長で整形外科医の加藤正二郎に連絡を取った
- 加藤正二郎は日本大学医学部の後輩で、天野篤が信頼を寄せる医師
- 治療は手術ではなく、患部への注射による再生医療で行われた
- 息子は1ヵ月後にはテニスができるまで回復したと天野篤が語っている
- 息子の名前・年齢・職業・勤務先はいずれも公表されていない
- 2022年の取材内容から、当時すでに成人していたとみられる
- 息子は消化器内科医とする情報は、別の開業医の発言との混同が原因とみられる
- 息子が医師かどうかを裏づける公式情報や大手メディアの報道は確認できない
- 子供の人数は非公表で、一男一女とする記述は個人ブログのみで確認された
- 妻についても名前・職業・結婚時期は公表されていない
- 天野篤の父は弁膜症で、本人が助手を務めた手術で人工弁の装着ミスにより死去した
- 天野篤は2021年に順天堂大学を定年退職し、特任教授として執刀を続けている

