元大関・琴欧洲さんの息子さんというと、引退断髪式の土俵に小さな体で上がった姿を思い出す方が多いのではないでしょうか。
あのとき3歳だった長男は、いま14歳になる年齢です。
実は一度は相撲をやめていて、その理由を父親自身が笑いながら語っていたというから、ちょっと意外ですよね。
・琴欧洲の息子が生まれた時期と、名前が公表されていない理由
・3歳で断髪式の土俵入りと取組を務めた当日の様子
・習い事として選ばれた3つの競技と、相撲をやめた経緯
琴欧洲の息子は2011年生まれの長男
琴欧洲さんの息子さんは、現役時代の2011年に生まれた長男です。断髪式の土俵に一緒に上がった姿を覚えている方も多いと思いますが、その後どう育っているのかを、本人が語った範囲でたどっていきます。
2011年11月に誕生した第1子
琴欧洲さんに息子さんが生まれたのは、まだ大関として土俵に上がっていた時期でした。
2011年11月、第1子となる長男が誕生しています。
結婚そのものは2009年5月で、翌2010年2月に赤坂の日枝神社で挙式をしていますから、結婚から2年半ほどで父親になった形ですね。
当時の琴欧洲さんは28歳。
大関の座を守りながらの子育てスタートということになります。
ここで少し整理しておきましょう。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2009年5月 | 一般女性と入籍 |
| 2010年2月 | 赤坂・日枝神社で挙式 |
| 2011年11月 | 第1子となる長男が誕生 |
| 2014年1月 | 日本国籍を取得 |
| 2014年3月 | 現役引退 |
| 2014年10月 | 両国国技館で引退断髪披露大相撲 |
こうして並べてみると、息子さんが生まれてから引退までは2年半ほどしかなく、父親としての現役生活はかなり短かったことがわかります。
土俵の上の父親を息子さんが自分の記憶として持っているかどうか、ちょうど境目くらいの年齢なんですよね。
名前は公表されていない
息子さんについて検索すると名前を書いているページがいくつも出てきますが、ここは慎重に見ておきたいところです。
琴欧洲さんは息子さんの名前を公表していません。
実際、2012年4月に靖国神社の奉納大相撲で息子さんが土俵入りをしたとき、「あれだけ姿を見せているのに、なぜ名前は非公表なのか」という質問がネット上のQ&Aサイトに投稿されています。
つまり、姿は公の場に出ていても名前は別という線引きが、かなり早い段階から引かれていたわけです。
ご本人が帰化したときの発言にも、その姿勢がにじんでいます。
日本国籍を取ったときに苗字を選んだ理由を、琴欧洲さんは「あまり変わったものにすると息子がかわいそう」と説明しているんです。
名前を出さないのも、名字を決めるときの考え方と地続きで、息子さんが普通に暮らせることを優先した判断だと読み取れます。
ネット上で名前の表記が食い違っている
ややこしいのは、名前を書いているページ同士でも表記が一致していないことです。
検索結果の要約ではカタカナの名前が出てくる一方、個人ブログの見出しでは漢字の名前になっていたりします。
出どころの示されていない情報が、書き写されるうちに形を変えていった可能性が高いところですね。
大手メディアの報道にも部屋の公式発信にも名前は出てこないので、この記事でも名前には触れずに進めます。
3歳で務めた断髪式の土俵入り
息子さんの姿がもっとも多くの人の目に触れたのは、間違いなくこの日でしょう。
2014年10月4日、両国国技館で行われた引退断髪披露大相撲です。
大銀杏を結った最後の晴れ姿での土俵入りと取組を、当時3歳だった息子さんと一緒に務めました。
この日の様子は、会場にいたタレントのはなわさんがブログとSNSで触れていて、「最後の土俵入りは3歳の息子さんと」と書き残しています。
後援会の記録にも、まだ3歳なのに大勢の観客を前にしても臆することなく、堂々と父親との取組を務めたと残っているんですよ。
……なんか、いいですよね。
琴欧洲さん自身は土俵の挨拶で「胸が詰まって、言葉が出ません」と涙をこぼしていました。
力士としての最後の相手が自分の息子だった、というのが琴欧洲さんの引退のしめくくり方だったわけです。
習い事は体操と水泳とサッカー
その後の息子さんについては、琴欧洲さん本人がインタビューで具体的に話しています。
2017年8月、部屋開きから4か月ほど経った鳴戸部屋での取材で、当時の息子さんの習い事が語られました。
体操・水泳・サッカーの3つです。
琴欧洲さんの説明はこうでした。
体操と水泳は全身が鍛えられるから良い、サッカーはチームの中で協調性や団結力が学べる、と。
そして「本人も3つとも全部好きで、喜んで通っていますね」とも話しています。
親が選んだ習い事を嫌々やっているのではなく、本人が楽しんで通っていたということですね。
選択肢を与えるのは親の責任という考え方
習い事を決めたのは誰かと聞かれたとき、琴欧洲さんはこう答えています。
もっと大きくなればできるスポーツも増えるけれど、今の年齢でできるものがこの3つだった。
そのうえで「子どもにとって一番大事なのは、選択肢をたくさん与えてあげることであって、それは親の責任です」と続けました。
この言葉、ご自身の経験から来ているんですよね。
琴欧洲さんは相撲を始める前に、バスケットボール・バレーボール・サッカー・水泳・レスリングと、いろいろな競技をやってきた人です。
何が得意で何をやりたいかは後から決めればいい、だから小さいうちは手広く触れさせる——父親としての方針は、そこで一貫しています。
相撲は「楽しくない」とやめた
相撲好きの方が一番気になるのはここだと思います。
息子さんは、一時期は相撲もやっていました。
ところが2017年の取材の時点では、すでにやめていたんです。
理由は「楽しくないから嫌だ」という本人の言葉でした。
琴欧洲さんはこれを笑いながら話しています。
「ちょうど自我が出始めて、何か反発したい時期なのかもしれませんが、それはそれでいいかなと思っています」と。
元大関の息子が相撲をやめたと聞くと、親としては引き止めたくなりそうなものですよね。
でもそうしなかったところが、さきほどの「選択肢を与えるのが親の責任」という考え方とつながっています。
無理をさせないのは稽古でも同じ
興味深いのは、同じ取材で部屋の弟子についても似たことを言っている点です。
みんなに同じことをやらせるのではなく、一人ひとりをよく見て、それぞれのいいところを見つけて伸ばせるよう努めている、と。
息子さんへの接し方と、弟子への接し方が同じ考え方で通っているのが見えてきます。
そもそも琴欧洲さんは、相撲そのものの価値を子供の学びという角度で語る人です。
相撲は礼に始まり礼に終わる神事であり武道だから、やっている子は挨拶がきちんとできるようになる、と。
蹲踞や柏手、手刀を切るといった所作の意味を学ぶことで、他人への敬意や感謝の心も育つと話しています。
続けるかどうかとは別に、触れた経験そのものに意味があるという見方ですね。
ちなみに食事については少し厳しめで、嫌いなものがあっても体にいいと思って食べ続ければそのうち好きになる、親が甘やかさないことが大事だと話していました。
琴欧洲さん自身、納豆が苦手だったけれど食べられるようになったそうです。
ただし8年かかったと笑っていましたけどね。
帰化で姓に安藤を選んだ理由
息子さんの話として外せないのが、琴欧洲さんの帰化のエピソードです。
2014年1月7日、琴欧洲さんは日本国籍を取得しました。
欧州出身の力士としては初めての日本への帰化です。
このとき決めた日本名は「安藤カロヤン」さん。
名前の「カロヤン」はブルガリア時代の名前をそのまま使いました。
漢字の当て字が見つからず、読み書きも難しいからという理由です。
そして苗字の「安藤」は、奥さんの姓から取っています。
理由として語られているのが、「あまり変わったものにすると息子がかわいそう」という一言でした。
力士が帰化するときは四股名をそのまま日本名にするケースが多く、たとえば元横綱の武蔵丸さんは武蔵丸光洋さんになっています。
その流れに乗らず、あえて奥さんの姓を選んだということですね。
当時2歳だった息子さんがこれから名乗っていく名前として、日本で違和感なく使えるものを選んだわけです。
ここは個人的にすごく好きなエピソードです。
角界入りを伝える公式発表はない
2011年11月生まれということは、2026年9月の時点で14歳。
年齢的には、相撲の世界を目指すなら進路を考え始める頃にあたります。
ただ、息子さんが相撲部屋に入門したという発表は、日本相撲協会からも鳴戸部屋からも出ていません。
琴欧洲さん本人のブログやSNS、部屋の公式アカウントにもそうした報告は見当たりません。
検索すると「角界入りが浮上」といった見出しのページが出てきますが、出典が示されておらず、大手メディアの報道とも一致しないものでした。
こういう記事は鵜呑みにしないほうが安全です。
現時点で確かなのは、息子さんの進路について公にされた情報はない、ということだけです。
そもそも一度は「楽しくない」と相撲を離れた経緯もありますし、ご本人が選んだ道を静かに見守るのが、親方の方針にも合っている気がします。
琴欧洲の息子を調べる人向けの関連情報
息子さんのことを調べていると、家族全体や琴欧洲さんの現在についても気になってきますよね。ここからは一緒に検索されやすい項目を、まとめて確認していきます。
子供は何人?息子と娘の2人
子供の人数はよく検索されている項目です。
公にされている範囲では、息子さん1人と娘さん1人の2人です。
2017年8月のインタビューでは、琴欧洲さんが「5歳の息子さんと2歳の娘さんの子育て真っ最中」の2児の父として紹介されています。
ここから逆算すると、娘さんが生まれたのは2015年ごろということになりますね。
つまり上が2011年生まれの長男、下が2015年ごろ生まれの長女という兄妹です。
娘さんについては、年齢以外の情報はほとんど出ていません。
息子さんと同じく一般の家庭のお子さんですから、この先も詳しい話が出てくることは少ないと思います。
奥さんは元会社員の一般女性
奥さんについても、公表されている情報は限られています。
2009年5月の結婚を報じた記事では、お相手は元会社員の一般女性とされています。
芸能人やタレントではなく、もともと会社勤めをしていた方ということですね。
結婚後は鳴戸部屋のおかみさんとして、部屋の運営を支える立場になっています。
相撲部屋のおかみさんは、力士の食事や生活、来客の対応まで引き受ける役割で、部屋の経営にとって欠かせない存在です。
一般女性として琴欧洲さんと結婚し、いまは部屋を支える側に立っている、というのが奥さんの現在です。
なお、帰化の際に琴欧洲さんが名乗った「安藤」という姓は、この奥さんの姓から取ったものでした。
馴れ初めは名古屋のコンビニ
出会いのエピソードは、琴欧洲さん自身がテレビで語っています。
きっかけは十両時代の2004年、名古屋場所の頃に部屋の近くのコンビニで声をかけたことでした。
当時の琴欧洲さんは20歳か21歳。
来日から2年ほどで、日本語もまだ手探りだった時期です。
そこから交際が始まり、プロポーズするまで千葉と愛知の遠距離恋愛が5年間続いたといいます。
5年はなかなか長いですよね。
しかも途中で一度、別れそうになったことも明かされています。
2017年にテレビ番組で語られたところによると、原因は琴欧洲さんの日本語の言い間違いだったそうです。
コンビニでの声かけから5年、危機も乗り越えて結婚に至ったのが、この夫婦の出発点でした。
離婚を裏づける報道は見つからない
検索の候補に離婚や再婚が並ぶので不安になる方もいると思いますが、ここは落ち着いて見ていきましょう。
琴欧洲さんが離婚したと報じた記事は確認できません。
むしろ近年の記事では、奥さんが鳴戸部屋のおかみさんとして琴欧洲さんを支えていることが紹介されています。
検索候補に離婚という語が並ぶのは、有名人の名前にはよく付いてくる組み合わせで、それ自体が事実を示すものではありません。
現時点では、離婚・再婚のいずれについても裏づけとなる報道は見当たらない、というのが正確な状況です。
日本国籍を取得したのは2014年
帰化の時期も整理しておきます。
日本国籍を取得したのは2014年1月7日で、欧州出身の力士としては初めてのことでした。
ブルガリアのヴェリコタルノヴォ出身で、2002年秋に佐渡ヶ嶽部屋へ入門してから、12年目の帰化です。
相撲協会では、引退後に親方として残るには日本国籍が必要とされています。
その2か月後の2014年3月場所で現役を引退していますから、帰化は指導者として相撲界に残るための準備でもあったと見ていいでしょう。
日本名の「安藤カロヤン」は、いまも鳴戸親方としての活動の土台になっています。
現在は鳴戸部屋を率いる親方
最後に現在の姿です。
琴欧洲さんは2015年2月に15代「鳴戸」を襲名し、2017年4月に佐渡ヶ嶽部屋から分家独立して鳴戸部屋を設立しました。
部屋は東京・墨田区向島にあり、所属する力士は16人です。
2026年も活動は活発で、春巡業の土俵で四股を踏む姿が伝えられ、6月には富山県射水市で合宿を行い、地元の高校相撲部の選手も参加しました。
老人ホームへの慰問に出かけたことも報じられています。
本人のブログも続いていて、2026年8月には9月場所に向けて気持ちを新たにしたと書き込んでいました。
引退から12年が経った姿がSNSで話題になることもあり、202センチの立ち姿は今も目を引きますね。
部屋初の関取となった欧勝馬
師匠としての実績も出ています。
2022年5月場所で弟子の欧勝馬さんが幕下優勝を果たし、翌7月場所での新十両昇進が決まりました。
鳴戸部屋から初めての関取が誕生した瞬間です。
独立に向けた内弟子の1号は、相撲経験のない山梨県出身の少年でした。
小学2年から空手、中学1年から剣道という武道経験で入門してきた子です。
ゼロから部屋を作ってきた親方が、いまは弟子を関取に育てるところまで来ているわけですね。
琴欧洲の息子のまとめ
- 琴欧洲の息子は2011年11月に誕生した第1子の長男
- 2026年9月時点で14歳になる年齢
- 息子の名前は公表されておらず、大手メディアの報道にも出てこない
- 2012年の靖国神社奉納大相撲で土俵入りした際も名前は非公表だった
- ネット上に出回る名前は表記が食い違い、出どころが確認できない
- 2014年10月4日の引退断髪披露大相撲で、3歳の息子と最後の土俵入りと取組を務めた
- 当日は大勢の観客を前にしても臆せず取組を務めたと記録されている
- 2017年の取材時点で、習い事は体操・水泳・サッカーの3つ
- 相撲も一時期やっていたが「楽しくないから嫌だ」と本人が言ってやめた
- 父親は反発したい時期と受け止め、無理にやらせなかった
- 選択肢をたくさん与えるのが親の責任、という子育ての方針を語っている
- 2014年1月の帰化で姓に安藤を選んだ理由は「変わった名字だと息子がかわいそう」
- 子供は息子と娘の2人で、娘は2015年ごろ生まれとみられる
- 息子が角界入りしたという発表は協会からも鳴戸部屋からも出ていない
- 父の琴欧洲は現在15代鳴戸として墨田区向島の鳴戸部屋を率いている

