テレビでもラジオでもおなじみの中瀬ゆかりさんですが、再婚しているのか気になって検索した方は多いのではないでしょうか。
調べてみると、中瀬さんが婚姻届を出したのは人生で一度きり。その後の19年をともに過ごした相手とは、最後まで籍を入れていなかったんです。
この記事では、中瀬ゆかりさんの再婚の有無と、事実婚のパートナーだった作家・白川道さんとの19年を、公表されている情報から整理していきます。
・中瀬ゆかりに再婚(二度目の入籍)があるのかどうか
・事実婚のパートナーだった作家・白川道はどんな人物か
・2015年の死別までの19年と、その後の中瀬ゆかりの現在
中瀬ゆかりの再婚は入籍なしの事実婚
「再婚したの?」という疑問に、まずは結論からお答えします。
中瀬ゆかりさんが婚姻届を出したのは人生で一度きり、その後の20年近くを共に過ごした相手とは籍を入れていません。
再婚の発表はなく入籍は25歳の一度だけ
中瀬ゆかりさんについて「再婚」で検索すると、なんとなく二度目の結婚があったように思えてきますよね。
ですが、公表されている情報をたどっていくと、話はもう少し複雑です。
中瀬さんが婚姻届を出したのは25歳のときの一度だけで、その結婚は29歳で終わっています。
そして32歳のときに作家の白川道さんと出会い、以降は事実婚のパートナーとして暮らしていました。
つまり、恋愛や生活のパートナーという意味では「二度目」がありましたが、戸籍の上での二度目はなかったということです。
中瀬ゆかりさんの再婚は、入籍という形では発表されていません。
白川さんが2015年に亡くなったあとについても、新たに結婚したという報道や本人の公表は確認できませんでした。
テレビやラジオに毎週出ている人ですから、もし入籍していれば話題にならないはずがない、というのが正直なところかなと思います。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 25歳 | 最初の結婚(入籍) |
| 29歳 | 離婚 |
| 32歳 | 白川道と出会う |
| 32歳以降 | 事実婚のパートナーとして同居 |
| 2015年4月 | 白川道が死去(同居19年目) |
| 現在 | 再婚の発表なし |
事実婚の相手は作家の白川道
中瀬さんの「二度目のパートナー」として知られているのが、ハードボイルド小説家の白川道さんです。
2人は籍を入れないまま、事実婚の関係を19年近く続けていました。
中瀬さん自身も白川さんのことを「夫で同居人」と表現しており、周囲もごく自然に夫婦として扱っていたようです。
籍を入れなかった理由そのものは公には語られていません。
ただ、白川さんが作家であり、かつ後述するような波乱の経歴を持っていたことを考えると、形式より実質を選んだ関係だったのかなと想像はできます。
なお、これはあくまで公表された事実から筆者が組み立てた見方であって、本人たちが語った理由ではありません。
確かなのは、法律上の夫婦ではなかったけれど、2人が最後まで一緒に暮らしていたという事実です。
19歳年上だった白川道の経歴と前科
白川道さんは1945年10月19日生まれ、当時の中華民国北平市(現在の北京市)で生まれた人です。
中瀬さんより19歳年上にあたります。
神奈川県平塚市で育ち、一橋大学社会学部を卒業。
その後の職歴がとにかく多彩で、大手電機メーカー、広告代理店、先物取引会社、旅行会社、書店経営と渡り歩き、最終的には日本橋兜町の投資顧問会社に勤めたのち、自分で株式投資顧問会社を立ち上げています。
ここまででも十分に異色ですが、白川さんの経歴で必ず触れられるのがその先です。
詐欺事件での逮捕と実刑判決
1991年、白川さんは一般の投資家から現金をだまし取ったとして逮捕され、実刑判決を受けています。
小説家としてデビューしたのは、そのあとのこと。
1994年の『流星たちの宴』が作家としての出発点で、以降は『天国への階段』(2001年)、『単騎、千里を走る。』(2005年)、『最も遠い銀河』(2009年)といった作品を発表しました。
中瀬さんはこの経歴をすべて知ったうえで一緒になっています。
Oggiのインタビューでは、ギャンブルと借金があったことも承知のうえで「白川のことが大好きだった」と語っていました。
経歴の重さを差し引いても選んだ相手だった、ということですね。
……なんというか、覚悟が違いますよね、これは。
六本木のバーで出会った馴れ初め
2人が出会ったのは六本木のバーでした。
中瀬さんが32歳、白川さんが51歳のときのことです。
雑誌『新潮』の編集部に在籍していた時期にあたり、中瀬さんが編集者としてキャリアを積み上げている真っ最中でした。
出版社の編集者と小説家という組み合わせなので、仕事で知り合ったのかと思いきや、きっかけは酒場での偶然だったわけです。
19歳という年齢差と、片方には実刑の過去があるという条件を並べると、周囲は決して賛成しなかったのではないかと思います。
それでもこの出会いから19年一緒に暮らしたのですから、相当に強い引力があったのでしょうね。
再婚とは呼ばれないけれど、実質的にはここから中瀬さんの二度目の結婚生活が始まったといえます。
トウチャンとペコマルで過ごした19年
2人の関係を象徴するのが、お互いの呼び方です。
白川さんが「トウチャン」、中瀬さんが「ペコマル」と呼び合っていました。
夫婦の呼び名としてもかなり独特で、深い付き合いのなかで自然に生まれたものなのだろうなと感じます。
周囲に対しては「魂の双子」と名乗ることもあったと伝えられており、恋人や配偶者という枠にきれいに収まらない関係だったようです。
籍を入れていない分、この呼び名や言い回しのほうが2人の距離感を正確に表していたのかもしれません。
中瀬さんは白川さんについて「おとうさんは楽しいことがすごい好きだったんです」とも語っています。
派手な経歴の持ち主でありながら、家では単純に遊び好きの人だったのだろうなと伝わってくる一言ですよね。
籍のない19年を、2人はごく普通の夫婦として生きていたわけです。
2015年の死別と残された103円の口座
この関係が終わったのは、突然でした。
2015年4月16日、白川道さんは大動脈瘤破裂のため69歳で亡くなります。
中瀬さんによれば、白川さんは家のソファで崩れ落ち、発見されたときにはすでに意識がなかったとのこと。
前日まで普通に遊びに出かけていた人が、翌日にはいなくなっていたことになります。
中瀬さんはレギュラー出演していた番組を2週間休み、喪に服しました。
これはきついですよ、本当に。
同居19年目に入っていた矢先の出来事です。
死後に判明した借金と口座残高
白川さんが亡くなったあと、中瀬さんが直面したのは金銭面の現実でした。
口座を確認したところ、残高は103円だったといいます。
さらに、新潮社を含む複数の出版社から原稿料を前借りしていたことや、亡くなる前日に雀荘で3万円ほど借りていたことも後から分かりました。
中瀬さんが白川さんの死後まず行ったのは、携帯電話の解約だったそうです。
借金取りからの電話がかかってくることを心配してのことでした。
ただ、その後は白川さんの本が売れるなどして、借金は少しずつ減っていっていると語っています。
死別後に語った心境
婦人公論の鼎談で、中瀬さんは「彼が旅立った時点で私自身も半分持っていかれた」と表現しています。
「この世で一番好きだった人を先に亡くしている」ため、すでに「やり切った感がある」とも。
この言葉の重さを思うと、再婚という選択肢がそもそも視界に入っていないのではないかと感じます。
25歳での最初の結婚と29歳での離婚
「再婚」という語が出てくる以上、一度目の結婚にも触れておく必要がありますよね。
中瀬さんが最初に結婚したのは25歳のときです。
Oggiのインタビューによれば、相手は「母親が好きなタイプのお坊ちゃま」だったとのこと。
自分が惚れ込んだ相手というより、親から見て安心できる相手だったという言い方に近いニュアンスです。
そしてこの結婚は29歳で離婚という形で終わります。
Wikipediaでは「4年半で破局」と書かれており、年数としてはおおむね一致しています。
離婚の具体的な理由は公表されていません。
その3年後に19歳年上の白川さんと出会っているわけですから、一度目と二度目でパートナーの選び方が180度変わった、という見方はできそうです。
安全な選択で失敗し、二度目は自分の感情に従った、という順番になっています。
子供を産まない選択をした理由
中瀬さんに子供はいません。
これは授からなかったのではなく、本人が「産まない」と決めた選択です。
決断した時期は37歳ごろ。
ちょうど『新潮45』の編集長というポストを打診されたタイミングと重なっていました。
当時を振り返って、中瀬さんは「これだから女は」と言われることに抵抗があったと語っています。
出産と昇進が同時に来たとき、周囲の目を意識せざるを得なかったということですね。
時代を考えれば、この葛藤は決して個人的なものではなかったはずです。
そして現在の中瀬さんは「子供を産まない選択をしたことをまったく後悔していません」とはっきり述べています。
再婚がなかったこととあわせて、家族の形を自分で決めてきた人だということが分かります。
中瀬ゆかりの再婚を調べる人向けの関連情報
ここからは、中瀬ゆかりさんという人そのものについて。
編集者としての歩みから、テレビ・ラジオでの現在の顔まで、あわせて知っておきたい情報をまとめます。
若い頃は37歳で新潮45の編集長に
中瀬さんが新潮社に入社したのは1987年です。
最初の配属は出版部で、書籍編集を担当していました。
その後は雑誌『新潮』の編集部へ異動し、およそ9年を過ごしています。
1998年に『新潮45』へ移り、2001年8月、37歳で同誌の編集長に就任しました。
総合月刊誌の編集長というポジションに30代で、しかも女性が就くのは当時としてかなり異例です。
2008年10月には『週刊新潮』の部長職編集委員、2011年以降は出版部部長という肩書きになっています。
白川さんと暮らしていた19年は、中瀬さんが編集者として一番駆け上がっていた時期と丸ごと重なります。
現在は新潮社の執行役員
編集の現場を長く歩いてきた中瀬さんですが、現在の肩書きはさらに上がっています。
2024年4月、新潮社の執行役員に昇格しました。
テレビでの気さくなキャラクターの印象が強いので意外に思う人もいるかもしれませんが、本業のほうは出版社の経営に関わる立場です。
「中瀬親方」という愛称で親しまれているのも、この現場感と貫禄の両方があるからなのでしょうね。
年齢は62歳で和歌山県田辺市の出身
中瀬さんの生年月日は1964年6月3日、2026年時点で62歳です。
出身は和歌山県田辺市。
田辺市立田辺第一小学校、田辺市立東陽中学校、和歌山県立田辺高等学校を経て、奈良女子大学文学部英語・英米文学科を卒業しています。
家族についても情報があり、父親は郷土史家で南方熊楠研究家の中瀬喜陽さん。
姉と弟がいるとされています。
文章や地域の歴史に近い家庭で育ったことが、編集者という進路につながっているのかもしれません。
5時に夢中の木曜レギュラーコメンテーター
中瀬さんの顔がお茶の間に知られるようになったのは、なんといってもこの番組でしょう。
TOKYO MXの『5時に夢中!』で木曜のレギュラーコメンテーターを務めています。
出版社の役員という肩書きからは想像しづらいほど、歯に衣着せぬコメントで人気を集めている人です。
岩井志麻子さんらとの掛け合いも番組の名物になっていますよね。
編集者としての知識量と、生放送で出るざっくばらんな物言いのギャップが、この番組での中瀬さんの持ち味かなと思います。
ニッポン放送のBOOKソムリエを担当
もうひとつのレギュラーがラジオです。
ニッポン放送の平日朝の番組『垣花正 あなたとハッピー!』のなかで、木曜に「中瀬ゆかりのBOOKソムリエ」というコーナーを担当しています。
新潮社の編集者としての目線でおすすめの本を紹介する内容で、こちらはポッドキャストとしても配信中です。
Apple Podcast、Amazon Music、Spotify、YouTubeなど複数のサービスで聴くことができます。
テレビでの毒舌と、本を語るときの熱量。この二面性が今の中瀬さんの活動を支えています。
中瀬ゆかりの再婚のまとめ
- 再婚(二度目の入籍)は公表されておらず、婚姻届を出したのは25歳の一度だけ
- 最初の結婚は25歳、離婚は29歳で、Wikipediaでは4年半で破局と記載
- 最初の結婚相手は「母親が好きなタイプのお坊ちゃま」だったと本人が語っている
- 32歳のときに作家の白川道と出会い、以降は事実婚のパートナーとして同居
- 白川道は19歳年上で、出会いの場は六本木のバー
- 白川道は1945年10月19日生まれ、一橋大学社会学部卒
- 白川道は1991年に投資家から現金を詐取したとして逮捕され実刑判決を受けている
- 白川道のデビュー作は1994年の『流星たちの宴』
- 2人は「トウチャン」「ペコマル」と呼び合い、「魂の双子」と名乗ることもあった
- 白川道は2015年4月16日に大動脈瘤破裂で死去、69歳没
- 死去の時点で同居19年目に入っていた
- 白川道の死後、口座残高は103円で、複数の出版社からの原稿料前借りも判明した
- 中瀬ゆかりに子供はおらず、37歳ごろに産まない選択をしたと公表している
- 1987年新潮社入社、2001年に37歳で『新潮45』編集長、2024年4月に執行役員へ昇格
- 現在はTOKYO MX『5時に夢中!』木曜レギュラーとニッポン放送のBOOKソムリエを担当

