「ラ・カンパネラ」で日本中を魅了したピアニスト、フジ子ヘミングさん。
92年の生涯を駆け抜けた人ですが、結婚の話だけはほとんど聞こえてきませんよね。
調べていくと、結婚という形を選ばなかった代わりに、最後まで恋を手放さなかった人だったことが見えてきました。
・フジ子ヘミングに結婚歴や夫がいたのかどうか
・90歳を超えても恋人がいたと語っていた本人の結婚観
・子供や家族構成、遺産の行方までの関連情報
フジ子ヘミングの結婚歴と生涯独身の理由
「ラ・カンパネラ」で日本中を魅了したピアニスト、フジ子ヘミングさん。
ステージ上の華やかさとは裏腹に、結婚については意外なほど情報が出てきませんよね。
ここでは、結婚歴の有無から恋愛遍歴、そして晩年に語っていた結婚観まで、分かっていることを順番に見ていきます。
結婚歴はなく夫もいなかった
まず、いちばん知りたいところから書きますね。
フジ子ヘミングさんは、92年の生涯で一度も結婚していません。
婦人公論のインタビューをはじめ、複数の媒体で本人が独身であることを前提に語っており、夫にあたる人物は最後まで確認されていませんでした。
これは「詳しいことが分からない」という話ではなく、本人が生涯独身であることを隠さず語り続けていた、という意味です。
ちなみに表記についても少し触れておきます。
「フジ子ヘミング」と検索する人が多いのですが、公式なクレジットや訃報での表記は「フジコ・ヘミング」でした。
本名はゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコさん。
どちらの表記で調べても同じ人物にたどり着くので、そこは気にしなくて大丈夫ですよ。
事実婚のパートナーがいたという話の扱い
ネット上のまとめ記事の中には、「事実婚のパートナーがいた」と書いているものもあります。
ただ、この話の出どころをたどってみると、大手メディアの報道や本人の発言には行き当たりません。
婦人公論のような一次に近い取材記事でも、語られているのは「恋人がいる」という表現までで、事実婚という言い方は使われていないんですよね。
つまり、事実婚説はネット上の解釈が一人歩きしたもので、裏付けのある情報とは言えません。
若い頃の恋が実らなかった経緯
では、結婚しなかったのは恋愛に興味がなかったからかというと、まったく逆でした。
本人はむしろ、自分のことを「惚れっぽい」とはっきり語っています。
婦人公論のインタビューでは、「私は昔から惚れっぽくて、すぐに恋をしてしまう。若い頃はずいぶん苦労したわ」と振り返っていました。
その「苦労」の中身が、なかなか壮絶なんです。
同じインタビューで語られているのが、ドイツ人男性に騙された一件でした。
相手にはほかに恋人がいて、フジ子さんは有り金全部に加えて、住んでいたアパートまで取られてしまったといいます。
異国で暮らしていた時期に、住まいごと失うわけですから、想像するだけで胸が締め付けられます。
もうひとつ、著書の中で明かしていたのがストックホルム時代の片思いです。
聴力を失ったあとの時期、芸術家風のハンサムな男性に恋をして、なけなしのお金でささやかなプレゼントを用意したり、小さなデンマーク製の自転車で2時間かけて会いに行ったりしていたそうです。
ところが、相手は同性愛者でした。
本人は著書で「惚れた相手がゲイだから何も進展しないわけです」と書いており、1時間もいれば「もうこりごりだ、早く帰ってくれ!」と言われてしまうことが悲しかった、とも記しています。
……これは、きつかったでしょうね。
好きになった相手から、恋愛感情の有無以前に「早く帰れ」と言われてしまう。
恋に臆病だったのではなく、全力で恋をして、そのたびに報われなかったというのが実態です。
30代で結婚を望んでいた時期
意外に思うかもしれませんが、フジ子さんには「結婚したい」と本気で考えていた時期もありました。
本人の発言として伝えられているのが、「すでに30歳を過ぎていましたから、なんとかしてマシな男性を見つけて結婚したいと思っていたのに相手が見つからない」というものです。
ただ、この発言は出典が限られており、複数の媒体で確認できる話ではありません。
そのため「本人が結婚を望んだ時期があった」という程度の理解にとどめておくのが安全かなと思います。
いずれにしても、独身を貫いたのは主義や信念からというより、結果としてそうなったという色合いが強そうです。
90歳を超えても恋人がいた
ここが、この人らしさがいちばん出ているところかもしれません。
結婚こそしませんでしたが、フジ子ヘミングさんには晩年まで恋人がいました。
婦人公論のインタビュー当時、本人は「近くにいて毎日会える」相手がいると語っています。
その人物について語られていたのは、次のような点でした。
| 語られていた特徴 | 本人のコメント |
|---|---|
| 距離感 | 近くにいて毎日会える関係 |
| 人柄 | 尊敬できる人 |
| 共通点 | お互いに猫が好き |
| 会話 | さまざまな話題を共有できる |
名前や職業までは公表されていません。
そして、92歳の時点で「恋をしている瞬間が一番幸せ」と語っていました。
90歳を過ぎて、なお恋をしている瞬間が一番幸せだと言い切れる。
……なんか、いいですよね。
結婚という制度に収まらなかっただけで、人を好きになる力そのものは最後まで衰えなかった、ということなんだと思います。
結婚観は期待しすぎないことだった
なぜ結婚しなかったのか。
その手がかりになるのが、本人が語っていた結婚観です。
周囲の人が「結婚すると相手に飽きる」と言うのを聞いて、フジ子さんは飽きるのは相手に期待しすぎるからだと考えていました。
恋愛に対しても、同じスタンスを持っていたようです。
「私は好きな人と一緒にいたら幸せ。だけど、依存しすぎることはないわね」という言葉も残しています。
さらに、ダメだと思ったらすぐに身を引くタイプで、落ち込むのも一日くらいだった、とも語っていました。
一方で、著書には「私は長いこと恋人もいませんでした。今もそう。私はいつも空想の中で恋をしていたのです」という一節もあります。
強がりのようにも読めますが、同じ本の中で「恋に夢見ていた頃をこうして思い出せるということは、とても微笑ましい幸せ」とも書いているんですよね。
相手に人生を預けず、恋そのものを楽しむ。それがフジ子ヘミングさんの結婚観であり、恋愛観でした。
子供はおらず甥や姪がいる
結婚していない以上、当然といえば当然ですが、フジ子ヘミングさんに子供はいません。
相続関係を解説した司法書士事務所の記事でも、夫はおらず両親も弟もすでに亡くなっている「おひとり様」だったと整理されています。
ただ、血縁がまったくいなかったわけではありません。
弟の大月ウルフさんには結婚歴があり、その子供たちがフジ子さんにとっての甥・姪にあたります。
葬儀の喪主を務めたのも、大月ウルフさんの子供とみられる人物でした。
また、親族としては歌手の橋本潮さんが従姪にあたることも知られています。
家族を持たなかった人、というイメージが先行しがちですが、こうして見ると親族との縁は最後まで残っていたんですね。
20匹の保護猫と暮らした晩年
結婚しなかったフジ子ヘミングさんの生活を語るうえで、猫の存在は外せません。
晩年は20匹もの保護猫と暮らしていました。
「今は20匹の保護猫のためにピアノを弾くの」という言葉は、追悼記事の見出しにもなっています。
猫との暮らしが始まったのは1980年、48歳のときでした。
ピアノの生徒が飼っていた猫が産んだキジ猫の仔猫を、里親として引き取ったのがきっかけです。
1匹では寂しいだろうと連れてきているうちに、あっという間に9匹まで増えてしまったといいます。
このあたりの増え方は、なんだか微笑ましいですよね。
そして本人は、猫について印象的な言葉を残しています。
「猫を飼いはじめてからは泣いたことはなかった」「猫達のおかげで、欲がなくなって、よい友人も増えていきました」というものです。
さらに、恋人について語った流れでも猫が出てきます。
「歳をとって醜くなったからって飽きないし、捨てようなんて思わないでしょう?」という言葉で、猫への愛情を人間関係のたとえに使っているんです。
結婚という形は選ばなかったけれど、猫たちが家族の役割を果たしていました。
フジ子ヘミングの結婚を調べる人向けの関連情報
結婚について調べていると、自然と気になってくるのが家族や生い立ちのことですよね。
ここからは、両親や弟のこと、国籍や遺産、そして死去にまつわる話まで、あわせて知っておきたい情報をまとめます。
家族構成は父母と弟の4人
フジ子ヘミングさんの家族構成は、両親と弟を合わせた4人家族でした。
| 続柄 | 名前 | 職業・特徴 |
|---|---|---|
| 父 | ヨスタ・ゲオルギー・ヘミング | スウェーデン人の画家・建築家(1986年死去) |
| 母 | 大月投網子 | 日本人ピアニスト(1903〜1993年) |
| 本人 | フジコ・ヘミング | ピアニスト(1931〜2024年) |
| 弟 | 大月ウルフ | 俳優 |
父はスウェーデン人、母は日本人という国際結婚の家庭で、フジ子さんはベルリンで生まれています。
なお父の名前は、日本語表記が媒体によって「ヨスタ」だったり「ジョスタ」だったりと揺れています。
外国語名のカタカナ表記の問題なので、同一人物と考えて差し支えありません。
つまり、家族全員が芸術に関わる仕事をしていた家庭でした。
母・大月投網子はピアニスト
母の大月投網子さんは、大阪の工場主の娘として生まれました。
東京音楽学校、いまの東京藝術大学のピアノ科を卒業したあと、ベルリンに留学しています。
父と出会ったのも、この留学先のベルリンでした。
そして、フジ子さんのピアノの原点も、間違いなくこの母にあります。
ただ、その教育はかなり厳しいものでした。
現代ビジネスのインタビューでフジ子さん本人が語ったところによると、ピアノを間違えると「頭が腐ってる!」と怒られたといいます。
練習をサボれば、無理やりピアノの前に連れていかれる。
そりゃ、しんどかったでしょうね。
しかもフジ子さんは、母から一度も褒めてもらえなかったと振り返っています。
興味深いのは、母がフジ子さんに望んでいた進路です。
母はピアニストではなく、ピアノ教師になることを望んでいたそうなんですよ。
実際、フジ子さんはヨーロッパで長くピアノ教師として生活していた時期があります。
厳しさの記憶と同時に、母から受け継いだ前向きさが後年の大ブレイクを支えました。
弟の大月ウルフは俳優
弟の大月ウルフさんは、俳優として活動していた人物です。
日本とスウェーデンにルーツを持つ出自を活かし、外国人役などで長く活躍しました。
姉がピアニストで、弟が俳優。
やはり芸術一家なんだなと感じさせる兄弟ですよね。
前述のとおり大月ウルフさんには結婚歴があり、子供もいます。
生涯独身だった姉に対して、弟は家庭を持っていたという対照的な人生でした。
両親の結婚は戦争で終わった
フジ子ヘミングさん自身の結婚を考えるうえで、実は両親の結婚がひとつの背景になっています。
両親はベルリンで出会い、結婚しました。
父は母より7歳年下だったと伝えられています。
その後、フジ子さんが5歳、弟が2歳のときに一家で日本へ帰国しました。
ところが、日本は軍国主義へと突き進んでいた時期です。
外国人である父は日本にとどまることができず、強制的にスウェーデンへ戻されてしまいました。
残された母は、女手ひとつで2人の子供を育てることになります。
……子供の側から見れば、結婚という形が国の事情ひとつで壊されるのを、目の前で見たわけです。
両親の結婚が戦争によって断ち切られた経験は、フジ子ヘミングさんの人生観に影響を与えた可能性があります。
もっとも、本人が「両親のことがあったから結婚しなかった」と語った記録は見当たりません。
あくまで、時系列を並べたときに浮かび上がる見方として受け止めておくのがよさそうです。
国籍は長く無国籍だった
結婚と並んでよく検索されているのが、国籍の問題です。
フジ子ヘミングさんは、人生の長い期間を無国籍の状態で過ごしました。
スウェーデン人の父と日本人の母のあいだにベルリンで生まれたことに加え、18歳までに日本へ入国した経験がなかったため、日本国籍が抹消されてしまったのです。
その後、スウェーデンに就籍する形で国籍を得ています。
1961年に西ドイツ赤十字社の難民という立場で国立ベルリン音楽大学へ留学しているのも、この国籍事情と無関係ではありません。
パスポートひとつ取るにも苦労した人生だったわけですね。
結婚も国籍も、制度の枠から外れたところで生きてきた人でした。
遺産と相続の行方
独身で子供もいない場合、遺産はどうなるのか。
ここは気になる人が多いポイントですよね。
法律上、配偶者も子供もおらず、両親も亡くなっている場合は、兄弟姉妹が相続人になります。
ただしフジ子ヘミングさんの場合、弟の大月ウルフさんもすでに亡くなっていました。
その場合は代襲相続といって、弟の子供、つまりフジ子さんの甥や姪が相続人になるのが一般的です。
実際、葬儀の喪主を務めたのも大月ウルフさんの子供とみられる人物でした。
なお、遺産の具体的な金額や配分については公表されていません。
また、相続関連の記事では「死後事務委任契約」という制度も紹介されています。
これは葬儀や埋葬の手配、役所への届け出などを、信頼できる人にあらかじめ託しておく契約のことです。
ただし財産の処分については相続人の権利に関わるため、この契約では扱えず、別途遺言書の作成が必要になります。
おひとり様の相続という観点でも、フジ子ヘミングさんのケースは注目を集めました。
ここで挙げた相続の考え方は、あくまで一般的な目安です。
実際の手続きは個々の事情によって変わるため、具体的な相談は専門家に確認してくださいね。
死去は2024年4月ですい臓がん
最後に、亡くなるまでの経緯にも触れておきます。
フジ子ヘミングさんは2024年4月21日、すい臓がんのため92歳で亡くなりました。
訃報が公式に発表されたのは、少し間を置いた5月2日のことです。
きっかけは、その前年にさかのぼります。
2023年11月、自宅の階段で転倒して脊髄を損傷。
その治療の過程で、すい臓がんが見つかったと伝えられています。
そして公式発表によれば、入院中も病院でピアノを弾いていたそうです。
……最後の最後までピアニストだったんですね。
1999年にNHKのドキュメンタリーで一躍脚光を浴び、デビューCD「奇蹟のカンパネラ」がクラシック界では異例の大ヒットを記録したのが67歳のとき。
そこから四半世紀、90歳を超えても国内外で演奏を続けました。
結婚という形は選ばなかったものの、ピアノと猫と恋を抱えて92年を走り切った生涯でした。
フジ子ヘミングの結婚のまとめ
- フジ子ヘミングは生涯結婚しておらず、夫にあたる人物もいない
- 子供もおらず、いわゆる「おひとり様」だった
- 事実婚のパートナーがいたという説は、大手媒体では確認できない
- 本人は「惚れっぽくて、すぐに恋をしてしまう」と語っていた
- 若い頃、ドイツ人男性に騙され有り金とアパートを失った経験がある
- ストックホルム時代の片思いは、相手が同性愛者だったため実らなかった
- 30歳を過ぎた頃に結婚を望んでいたという発言もあるが出典は限られる
- 晩年は「近くにいて毎日会える」恋人がいたとされる
- 92歳の時点で「恋をしている瞬間が一番幸せ」と語っていた
- 結婚に飽きるのは相手に期待しすぎるからだ、という考えを持っていた
- 晩年は20匹の保護猫と暮らし、猫が家族のような存在だった
- 猫との暮らしは1980年、48歳のときに1匹を引き取ったのが始まり
- 家族構成は父・母・弟の4人で、父はスウェーデン人の画家、母はピアニスト、弟は俳優の大月ウルフ
- 両親の結婚は、父が戦時下の日本から強制送還されたことで終わった
- 相続人は甥や姪にあたるとみられ、葬儀の喪主も弟の子供とされる

