「超攻撃型麻雀アマゾネス」の異名で知られる和久津晶さん。
盤面では一歩も引かない打ち方をする方ですが、結婚しているのか、旦那さんや子供はいるのか、私生活の話はほとんど表に出てきませんよね。
調べていくと、和久津晶さんが「お母さんのような存在になりたい」と語っていたことがわかりました。その言葉の背景には、小学2年生から難病の母を支え続けた日々があったんです。
・和久津晶が結婚しているのか、旦那や子供の情報はあるのか
・本人が語った好きなタイプと「お母さんのような存在になりたい」という言葉の意味
・小学2年から母を介護し29歳でプロ入りした、結婚が後回しになった半生
和久津晶は結婚しているのか独身なのか
まずは一番知りたいところ、和久津晶さんの結婚についてです。
公表されている情報と、本人が語ってきた言葉の両面から見ていきますね。
結婚を公表した事実はなく独身とみられる
結論からお伝えすると、和久津晶さんが結婚を発表した事実は確認できませんでした。
日本プロ麻雀連盟の公式プロフィール、本人のSNS、Wikipedia、麻雀専門メディアのプロフィールページ。
そのどれを見ても、配偶者や結婚に触れた記述は一切ありません。
芸能人であれば結婚報道が出れば必ずどこかのメディアが取り上げますし、麻雀プロの世界でも人気選手の結婚はニュースになります。
和久津晶さんはMリーグにも出場した知名度のある選手ですから、結婚していればまず間違いなく報じられているはずです。
それが一切見当たらないということは、現時点では独身と考えるのが自然でしょう。
ただし、ここは慎重に書いておきたいところで、「発表がない」ことと「結婚していない」ことはイコールではありません。
麻雀プロは芸能人と違って私生活の公表義務がなく、あえて何も言わずに家庭を持っている方もいます。
あくまで公開されている情報の範囲では独身とみられる、という受け止め方が正確かなと思います。
公式プロフィールに家族欄そのものがない
そもそも日本プロ麻雀連盟の選手プロフィールには、家族構成や配偶者を書く欄がありません。
記載されているのは生年月日、出身地、段位、所属、タイトル歴といった競技に関する項目だけです。
つまり「公式に書かれていないから独身」ではなく、「書く場所がそもそも用意されていない」というのが実情なんですよね。
旦那や子供の情報が見当たらない理由
和久津晶さんについて検索すると「旦那」「子供」といったワードが並びますが、これらに具体的な中身が伴っている情報はありませんでした。
出産や育児に触れた本人の発信も、報道も見当たりません。
離婚歴についても同じで、過去に結婚していたことを示す情報は出てきませんでした。
ではなぜ、実体のない検索ワードがこれだけ並ぶのでしょうか。
ひとつは、和久津晶さんが1978年生まれで、2026年時点で48歳という年齢にあると考えられます。
この年代の女性で私生活の情報が出てこないと、「結婚しているのでは」「子供がいるのでは」と自然に想像されやすいんですよね。
もうひとつは、本人が私生活をほとんど語らないこと。
インタビューでも対局後のコメントでも、話題になるのは麻雀と、後輩プロへの向き合い方ばかりです。
情報が出てこないからこそ検索される、という循環が起きているのかなと思います。
彼氏や熱愛の報道はあるのか
彼氏についても、現在交際相手がいることを示す本人の発信は確認できませんでした。
熱愛報道の類も出ていません。
ただ、恋愛について本人が語ったエピソードはいくつか残っています。
たとえば、過去に付き合っていた彼氏がタバコを吸ったところ、匂いに耐えられずそのまま帰ってしまったという話。
……なかなか強烈ですよね。
好き嫌いをはっきりさせる性格が、恋愛の場面でもそのまま出ているエピソードだなと思います。
麻雀メディアでは「和久津さんは男性に自分からアプローチしない」というスタンスも紹介されています。
これは受け身というより、恋愛のために自分から動く時間があるなら麻雀に使う、という優先順位の問題に見えます。
公言している好きなタイプは清潔とサディスト
和久津晶さんが公言している好きなタイプは、「清潔、サディスト」です。
好きな芸能人としては俳優の大沢たかおさんを挙げています。
この2つ、並べてみると和久津晶さんらしさがよく出ているなと感じます。
「清潔」は、先ほどのタバコのエピソードともつながりますよね。
匂いや身だしなみに対する感覚が鋭い方なのだと思います。
そして「サディスト」。
攻撃的な打ち方で知られる和久津晶さんが、相手に対しては強さを求めるというのは、ちょっと意外な気もしませんか。
押すと決めたら地の果てまで押すと言われる打ち手ですから、恋愛でも自分が引っ張るタイプかと思いきや、そうではないようです。
| 項目 | 本人が公言している内容 |
|---|---|
| 好きなタイプ | 清潔、サディスト |
| 好きな芸能人 | 大沢たかお |
| 苦手なもの | タバコの匂い(彼氏が吸って帰った過去あり) |
「お母さんのような存在になりたい」という言葉
和久津晶さんの結婚観を考えるうえで、どうしても外せない言葉があります。
それが「お母さんのような存在になりたい」というものです。
これは自分が母親になりたい、という意味で語られたものではありません。
後輩プロの育成について聞かれたときの発言で、麻雀を「思いやりのゲーム」と捉えたうえで、「お母さんみたいに何かを与えられる存在になりたい」と語っています。
実際、桜川姫子さんや咲良美緒さんにプロ入りを勧めるなど、後進を引き上げる側に回っている場面が多い方です。
「その人の隠れた努力の一面を知ることが出来ると、幸せな気持ちになる」という言葉も残しています。
……この感覚、なんだかじんわりきませんか。
自分が勝つことよりも、誰かの努力が報われる瞬間に幸せを感じると言っているわけです。
家庭を持つという形ではなく、麻雀界の中で「与える側」になることを選んだ。そう受け取れる言葉だなと思います。
母のように背中で伝えられる存在に憧れている
和久津晶さんはこの発言に続けて、実の母のように「背中で伝えられるような存在に憧れている」とも語っています。
言葉で教えるのではなく、生き方そのもので示す。
次の項目で触れますが、その理想像は間違いなく実の母親から来ています。
母の介護と小2からの家事が育てた家庭観
ここが、和久津晶さんの人生を語るうえで最も重い部分です。
和久津晶さんの母親は、脊髄小脳変性症という難病を患っていました。
症状が進むと、ひらがなボードでしか会話ができない状態になったといいます。
和久津晶さんは、ほんの少ししか動かせない母の表情筋から、何を言いたいのかを読み取る力を身につけていきました。
そして小学2年生のときから、家族5人分の家事を1人で担当していたそうです。
本人が語った当時の1日はこうです。
家に帰ったらすぐ洗濯機を回し、夕飯の買い出しに行き、風呂を掃除し、ご飯を作り、後片付けをして、最後に自分が風呂に入ってから、やっと宿題ができる。
友達と遊べるのは学校の休み時間だけだったといいます。
正直、読んでいて胸が痛くなりました。
小学2年生といえば8歳ですよ。
その年齢で毎日これをこなしていたというのは、想像するのも難しい話です。
母親は余命宣告を受けたあとも21年間を自宅で過ごし、その間、自宅で英語教室を開いていました。
誰かに頼るのは嫌いで、誰かに何かをするのは好きなのにそれができない、という葛藤を抱えていたそうです。
和久津晶さんが「与える側になりたい」と語るのは、この母の姿を見て育ったからだと考えられます。
家庭というものを、支える側として20年以上経験してきた方なんですよね。
結婚して新しい家庭を持つという発想より先に、目の前の家族を守ることが人生の中心にあった。
そう考えると、私生活の話が出てこない理由も少し見えてくる気がします。
麻雀に人生を注いだ29歳からの日々
和久津晶さんがプロ入りしたのは2007年、29歳のときです。
一般的には、結婚を意識する人が多い年齢ですよね。
その年に和久津晶さんが選んだのは、プロ雀士としての道でした。
しかも、プロ入りしたその年に母親が他界しています。
支え続けた相手を失った直後にうつ状態に陥り、1年半ほどプロとしての活動ができなかったと語っています。
これはきつかったでしょうね……。
復帰後の2011年、和久津晶さんはプロ引退をかけてプロクイーン決定戦に出場します。
そして、そこで初タイトルを獲得しました。
背水の陣で臨んだ舞台で結果を出したわけです。
その後は守備型から攻撃型へとスタイルを大きく変え、2016年にはA1リーグ昇格を果たしています。
プロ入り前の話も壮絶で、街の雀荘に通っていた時期には「満貫縛り」を自分に課したうえで、48時間打って12時間寝るという生活を3か月続けたそうです。
恋愛や結婚に割く時間があったとは、正直考えにくい生活ですよね。
結婚に関する世間の声
和久津晶さんの結婚については、ファンの間でもさまざまな受け止め方があります。
目立つのは、独身であること自体を意外だと感じる声です。
スタイルの良さや華のある見た目から、結婚していてもおかしくないと思われているようですね。
一方で、あの打ち方を見ていれば納得するという声もあります。
押すと決めたら地の果てまで押すと言われる麻雀を打つ人が、生活の中心を家庭に置いている姿は確かに想像しにくいかもしれません。
また、母親の介護と生い立ちのエピソードを知って見方が変わったという反応も見られます。
結婚しているかどうかより、そこまでの人生を支えてきた強さのほうに目が向くという意見ですね。
個人的にも、この記事を書きながら同じことを感じました。
和久津晶の結婚を調べる人向けの関連情報
ここからは、和久津晶さんの結婚について調べている方が併せて気になるであろう情報をまとめます。
年齢や経歴、タイトル歴まで、人物像がつかめる内容にしていますね。
年齢は48歳で1978年2月17日生まれ
和久津晶さんは1978年2月17日生まれで、2026年8月時点で48歳です。
読み方は「わくつ あきら」。
名前だけ見ると男性と間違われることもあるようですが、女流プロ雀士です。
年齢を知って驚く方が多いのも、和久津晶さんの特徴かなと思います。
鍛え上げられた腹筋がたびたび話題になるほど体を作り込んでいる方で、見た目の年齢が実年齢と一致しないんですよね。
本人も「可愛かったわけでもない私が、歳を重ねるごとに重力に逆らってでも、やればできるということを伝えられる人になりたい」と語っています。
出身は東京都でショーダンサーからの転身
出身は東京都です。
そして意外に思われるのが、麻雀プロになる前の職業。
18歳からショーダンサーとして働き、プロ入りまで10年以上その世界で生きていました。
スポットライトの当たる華やかな舞台で、競争を勝ち抜いてきたキャリアです。
この経歴、今も体に残っています。
和久津晶さんは対局中、椅子の背もたれに一度も背中をつけないことで知られています。
ダンサー時代に染み込んだ姿勢がそのまま雀卓に持ち込まれているわけですね。
……なんか、かっこよくないですか。
麻雀を本格的に打ち始めたのもダンサー時代で、プロの勉強会に参加して多くのプロ雀士と知り合い、越野智紀さんに誘われてプロ試験を受けたという流れです。
麻雀店では醍醐大さんから指導を受けていた時期もあります。
プロクイーン2回優勝という実績
和久津晶さんの競技実績は、女流プロの中でもトップクラスです。
日本プロ麻雀連盟の23期生として2007年にプロ入りし、現在の段位は七段。
主なタイトル歴は次のとおりです。
| 年・期 | タイトル・成績 |
|---|---|
| 第9期 | プロクイーン 優勝(2011年・初タイトル) |
| 第7期 | 女流桜花決定戦 準優勝 |
| 第8期 | 女流桜花決定戦 準優勝 |
| 第12期 | プロクイーン 優勝 |
| 第17回 | 女流モンド杯 優勝 |
| 2023年 | 麻雀最強戦 打倒最強位決戦 優勝 |
プロクイーンを2度制しているのは、女流の中でも限られた実績です。
しかも1度目は引退をかけた勝負でしたから、重みが違いますよね。
Mリーグはセガサミーフェニックスで戦った
和久津晶さんは2019年のMリーグドラフト会議で、セガサミーフェニックスから指名を受けてMリーガーとなりました。
所属したのは2020-21シーズンまでです。
2021年6月、チームから契約満了が発表され、自由契約となりました。
このときの発表はファンの間で大きな話題になり、賛否の声が飛び交ったことも記憶されています。
和久津晶さん自身は、負けた者は何かを失うのがこの世界だという趣旨のメッセージを残しました。
……重い言葉ですよね。
Mリーグを離れたあとも、2023年のMトーナメントに出場するなど、第一線での活動は続いています。
解説やゲスト出演も多く、人気は変わりません。
愛称「超攻撃型麻雀アマゾネス」の由来
和久津晶さんの代名詞といえば、「超攻撃型麻雀アマゾネス」という異名です。
由来は、その打ち回しにあります。
押すと決めたら地の果てまで押す、と評される爆発力。
もともとは守備型の打ち手でしたが、2011年のプロクイーン獲得後に攻撃型へとスタイルを転換しました。
自分の型を捨てて作り直すというのは、実績が出た直後ほど難しい判断だと思います。
それをやってのけたからこそ、A1リーグ昇格という結果につながったのでしょう。
結婚の情報が出てこない代わりに、麻雀の記録だけがはっきりと残っている。それが和久津晶さんという打ち手です。
和久津晶の結婚のまとめ
- 和久津晶が結婚を公表した事実は確認できず、独身とみられる
- 連盟公式・SNS・Wikipedia・専門メディアのいずれにも配偶者の記載はない
- 旦那や子供に関する具体的な情報や報道も見当たらない
- 離婚歴を示す情報も確認できていない
- 現在交際中の相手を示す本人の発信もなく、熱愛報道もない
- 好きなタイプは「清潔、サディスト」と公言している
- 好きな芸能人として俳優の大沢たかおを挙げている
- 彼氏がタバコを吸ったため匂いに耐えられず帰った過去があるとされる
- 麻雀メディアでは男性に自分からアプローチしないスタンスが紹介されている
- 「お母さんのような存在になりたい」は後輩育成について語った言葉
- 母は脊髄小脳変性症を患い、余命宣告後も21年間を自宅で過ごした
- 小学2年生のときから家族5人分の家事を担当していた
- 2007年に29歳でプロ入りし、同年に母が他界。その後1年半活動できなかった
- 2011年に引退をかけたプロクイーンで初タイトルを獲得した
- 18歳から10年以上ショーダンサーとして働いた経歴を持つ

