ロバートハリスさんの妻について調べていると、名前は出てくるのに素性がなかなか見えてこないと感じませんか。
実はロバートハリスさんは3回結婚していて、今の妻リコさんは3人目にあたる日本人女性です。
そしてこのリコさん、ロバートハリスさんの作家デビューを裏で救っていた人でもあるんですよ。
・ロバートハリスの妻リコの職歴と人物像
・女性を断つと決めた日に出会った馴れ初めと結婚時期
・妻のひと言がデビュー作エグザイルスを救った経緯
ロバートハリスの妻リコと歩んだ結婚生活
ロバートハリスさんの妻は、3度目の結婚相手にあたる日本人女性のリコさんです。
作家デビューを支えた人であり、家づくりのパートナーでもある、その人物像をたどっていきますね。
妻リコはアパレル出身の文章のプロ
まず気になるのは、どんな女性なのかというところですよね。
ロバートハリスさんの妻は、リコさんという日本人女性です。
名前がはっきり分かるのは、ロバートハリスさん本人のnoteに「リコの家づくりノート」という連載が組まれていて、そこで彼女自身が「はじめまして。ハリスの妻のリコです」と名乗っているからなんです。
芸能人の配偶者は名前すら出てこないことも多いので、本人の媒体で堂々と登場しているのはけっこう珍しいケースかなと思います。
職業についても手がかりがあります。
日豪プレスのインタビューで、ロバートハリスさんは妻について「アパレル関係の仕事でカタログの文章を書いたりしていたので文章力があり語彙も豊富でした」と語っています。
つまり、服飾業界でコピーやカタログの文章を手がけていた、言葉のプロだったわけですね。
この経歴が、のちにロバートハリスさんの作家人生を左右することになります。
夫のnoteの前書きには、彼女の人柄が分かるひと言も残されています。
家づくりで意見が衝突したときのことを、ロバートハリスさんはこう書いているんです。
「たまに意見が衝突する時もありますが、ほとんどの場合、彼女の意見が通ります。なぜなら、彼女曰く、『私が正しいから』だそうです」。
……なんか、いいですよね。
言葉を扱う仕事をしてきた、はっきりと自分の意見を持つ女性。それがロバートハリスさんの妻リコさんの姿です。
出会いは女性と距離を置くと決めた日
馴れ初めのエピソードが、これまたロバートハリスさんらしいんですよ。
キネヅカのインタビューで、本人がこう明かしています。
「女性関係に疲れてしばらく女性と関わるのはやめようと日記に書いたその日に出会ったのが今の奥さん」だった、と。
もう女性とは距離を置こう、と日記に書いた、まさにその日。
そのタイミングで現れたのが、のちの妻となるリコさんだったというわけです。
こういうの、狙ってもできないですよね。
しかもロバートハリスさんは「会った瞬間この人と結婚したい!と思って」とも語っています。
女性を断つと決めた当日に、結婚したい相手と出会ってしまった。
本人の決意をあっさり吹き飛ばした出会いが、3度目にして最後の結婚につながったことになります。
ちなみにロバートハリスさんは1948年横浜生まれで、1972年に24歳で日本を飛び出し、バリ島やオーストラリアを渡り歩いてきた人です。
シドニーでは書店兼画廊「EXILES」を経営し、本人いわく「女の子の出入りも激しくワイルドな生活」を送っていました。
そんな日々を経たあとの「もうやめよう」だったと考えると、余計に効いてくる話だなと思います。
出会って半年で決まった3度目の結婚
出会いからのスピードも、なかなかのものでした。
ロバートハリスさんは「半年後には結婚していました」と語っています。
会った瞬間に結婚したいと思い、半年で本当に結婚してしまう。
行動力がすごいですよね。
さらに面白いのが、このスピード感が今の妻に限った話ではないという点です。
本人はこう続けています。
「それぞれ違うタイプの女性だけど3人とも出会って半年後に結婚しています」。
3回の結婚すべてが、出会いから半年。
ここまで一貫していると、もはや性格というより生き方の問題なのかもしれません。
結婚した時期についても、逆算できる材料があります。
2016年2月に公開されたFORZA STYLEの対談で、ロバートハリスさんは結婚回数を聞かれて「3回です」と答え、「今は3人目の日本の女性と22年目ですね」と話しています。
2016年から22年をさかのぼると、リコさんとの結婚は1994年ごろということになります。
ロバートハリスさんが香港から日本に帰国したのが1989年ですから、帰国後5年ほどで再婚した計算ですね。
デビュー作を救った妻のひと言
ここが個人的に、いちばん語りたいエピソードです。
ロバートハリスさんの作家デビュー作は、1997年に講談社から出た自伝『エグザイルス』。
でもこの本、妻のリコさんがいなければ世に出ていなかった可能性が高いんです。
ロバートハリスさんはもともと英語で書く作家を目指していて、日本語で文章を書いたことがありませんでした。
そこで手伝いに入ったのが妻です。
日豪プレスで本人が語っている内容が、なかなか具体的で面白いんですよ。
「彼女は毎日、数ページほどのミミズがのたくったような平仮名だらけの自分の原稿を読んでくれました」。
当時はパソコンもなく、手書きの原稿を彼女がワープロで打ち直していたそうです。
そのうえで「ここは英語のような文章になっているから書き直した方が良い」「こういう言い回しは日本語にないよ」と編集していたといいます。
ロバートハリスさん自身、これを「一番身近な人が良き担当編集者になってくれたということですね」と振り返っています。
そして本当の山場は、原稿が書き上がったあとに来ました。
出版社は作家としてはまだ新人だからという理由で、ゴーストライターを付けたんです。
ところが出来上がった原稿は、ロバートハリスさん本人も「全くつまらない」と感じるものになっていました。
ここで妻が動きます。
相談を受けたリコさんは「これは担当編集者が元の原稿をしっかり読んでないから、ゴースト・ライターに指示が伝わっていない」と怒り、編集者を電話で呼び出しました。
そして放ったのが、このひと言です。
「うちの旦那のオリジナルを読んでよ!」
これを受けて編集者も「確かにハリスさんのオリジナルの方が良いですね」と納得し、オリジナル版での出版が決まりました。
……最高じゃないですか、これ。
結果として『エグザイルス』は初版2万部が1週間で増版となり、六本木でのサイン会には150人ほどが並んだそうです。
妻のひと言がなければ、ロバートハリスさんの作家人生はまったく違うものになっていたかもしれません。
WOMENの最終章で妻をべた褒めした理由
妻との関係を語るうえで外せないのが、2013年に晶文社から出たエッセイ『WOMEN ウィメン: ぼくが愛した女性たちの話』です。
タイトルのとおり、過去に出会った女性たちのことを書いた全55話の本なんですが、執筆中に事件が起きました。
FORZA STYLEでロバートハリスさんはこう語っています。
「原稿を書いていたら、急に奥さんが後ろにいて『私、昔ほど寛容じゃないからね』って言われちゃって」。
キネヅカのインタビューでも「私はすべてを受け入れているわけではない」と機嫌が悪くなった、と同じ趣旨の話をしています。
そりゃそうですよね、目の前で夫が昔の恋愛を書いているわけですから。
そこでロバートハリスさんが取った対策が、奥さんを大々的に褒めちぎる章を一番最後に持ってくるというものでした。
本人は「我ながら上手くまとめたな」と話していて、妻からも「なかなか良い本だ」と言われたそうです。
なんだか微笑ましい落としどころだなと思います。
義母との同居はうまくいっていた
嫁姑の関係というと身構えてしまいますが、ロバートハリス夫妻の場合はかなり良好だったようです。
リコさん本人がnoteで、義母との同居についてこう書いています。
「私たちの同居は長きに渡りとても仲良くうまくいっていた」。
住んでいたのは、もともと夫の両親が建てた横浜の家でした。
ただしリコさんは「この家の主はあくまで義母であり、私たちではなかった」とも書いていて、気を遣う部分はあったようです。
そのため一時期は、家のすぐそばにマンションを買い、生まれたばかりの娘と3人で暮らしていた時期もあります。
リコさんはこの10年ほどの期間を「これはこれで私たち夫婦には大事な時間だった」「インテリアの趣味をすりあわせるということの、いいトレーニングになった」と振り返っています。
その後、義母の高齢化をきっかけに実家へ戻り、再び同居が始まりました。
距離を取る時期をはさみながら、最後まで穏やかに続いた同居だったことが分かります。
なお、義父母はリコさんと夫の結婚前に離婚しており、義父はすでに他界しているとリコさんは記しています。
義母は駅前の眼科を85歳まで続けた
その義母というのが、ロバートハリスさんの母・平柳富美子さんです。
眼科医で、リコさんによると駅前で眼科を開業し85歳まで現役だったといいます。
医院を辞めたあとも旅行・趣味・ジムを元気に続ける「若く、パワフルな人」だったそうです。
ロバートハリスさん自身もキネヅカのインタビューで母について「医者でしたがなかなかクレイジーな人でした。大正生まれの女性が世界を旅してヨルダンで水タバコを吸っていましたから」と語っています。
リコさんが「100まで長生きすると思っていた」と書くほどの人でしたが、noteが公開された2020年の一昨年、つまり2018年ごろに93歳で急逝しました。
夫婦で決めた築60年超の家の建て替え
義母が亡くなったあと、夫婦が向き合うことになったのが自宅の問題です。
きっかけは、リコさんがスマホでネットニュースを見ていたときに表示された、リフォームの資料請求の広告でした。
軽い気持ちでタップして情報を送ったところ、ハウスメーカーからモデルハウス見学に誘われます。
「参っちゃった」というニュアンスで夫に報告したところ、返ってきたのは「行ってもいいよ、行ってみようよ」という予想外の返事でした。
そこから話が転がり、ロバートハリスさんが家の建て替えを本気で考えようと言い出します。
リコさんはその理由をこう記しています。
「いつか建て替えなきゃならないのなら、何年も待ちたくない。すぐ始めて快適な家で長く暮らしたい。今から始めよう」。
石橋を叩かずに渡るタイプだと自認するロバートハリスさんらしい決断ですよね。
そしてリコさんが挙げた動機が、しみじみといい話なんです。
「娘と、2〜3年後にオーストラリアから帰ってくる息子にも、居心地のいい環境を与えたい」。
別々の国で育った2人の子どもが集まれる家をつくる。それが夫婦の建て替えの出発点でした。
この家づくりの過程は、ロバートハリスさんのnoteで夫の視点から連載され、さらに「リコの家づくりノート」として妻の視点からも並行して綴られています。
同じ出来事を夫婦それぞれが書くという、なかなか面白い試みですね。
建て替え前の家は75坪の和洋折衷レトロ家屋
建て替え前の家についても、リコさんが詳しく書いています。
築60年を超える和洋折衷のレトロ家屋で、広さは75坪。
大理石の暖炉、ホールクロック、ホームバーまであったといいますから、相当に趣のある家だったようです。
来客には昭和レトロな雰囲気が好評だった一方、住む側からするとかなり大変だったみたいで、リコさんは「夏暑く、冬寒く、物であふれかえっていて、隙間風、ハウスダスト、カビ、ダニ、雨漏り、あちこちのひび割れ、壁からキノコ」と書き連ねています。
壁からキノコ、はなかなか強烈ですよね。
建て替え前には、義母の了承を得て2階の和室をフローリングの洋室にリフォームし、夫婦の寝室と娘の部屋を整えていた時期もありました。
50歳のときに生まれた娘
ロバートハリスさんとリコさんの間には、娘が1人います。
FORZA STYLEでロバートハリスさんは「僕が50歳の時に生まれた17歳の娘がいます」と語っていました。
この対談が2016年2月なので、娘さんは1998年ごろの生まれということになります。
Wikipediaにも1998年頃に娘が生まれたと記載があり、時期は一致しています。
親子関係については、ロバートハリスさんの発言がすべてを物語っていますね。
「彼女とは一番仲が良くて」「可愛いんですよ。僕が完全にスポイルして(甘やかして)奥さんにいつも怒られてます」。
夫が娘を甘やかし、それを妻がたしなめる。
絵に描いたような構図で、ちょっと笑ってしまいます。
娘さんからは「パパはなんでいつもハッピーなの?」と聞かれたこともあるそうです。
3度目の結婚で生まれた娘は、ロバートハリスさんが50歳を迎えてから授かった子どもということになります。
ロバートハリスの妻を調べる人向けの関連情報
ここからは、妻の年齢や元妻のこと、家族構成など、あわせて検索されやすい情報をまとめていきますね。
年齢や素性は公表されていない
「ロバートハリス 妻 年齢」は関連ワードでも上位に出てくるのですが、ここは正直にお伝えします。
リコさんの年齢は公表されていません。
夫のnoteに妻名義の連載があり、名前と職歴までは分かるのに、生年や年齢には一切触れられていないんです。
旧姓や出身地、顔写真といった情報も同じで、公になっている一次情報は見当たりません。
一般の方ですから、そこは踏み込まないのが筋かなと思います。
分かっているのは、1994年ごろに結婚し、1998年ごろに娘を出産しているという時系列だけですね。
元妻はアメリカ人とオーストラリア人
ロバートハリスさんは3回結婚しています。
つまり元妻が2人いるということですね。
キネヅカのインタビューで、本人がこう明かしています。
「僕は3回結婚しているけど、最初の奥さんはアメリカ人で2番目の奥さんはオーストラリア人でした」。
FORZA STYLEでも「16年オーストラリアにいて、その間に離婚して再婚してまた離婚した」と語っていて、2度の結婚と離婚がオーストラリア滞在中に起きたことが分かります。
ロバートハリスさんがオーストラリアにいたのは1973年から1989年までの16年間。
シドニーのダーリングハーストで書店兼画廊「EXILES」を経営していた時期と重なります。
| 何番目 | 相手 | 時期 | 子ども |
|---|---|---|---|
| 1人目 | アメリカ人 | オーストラリア滞在中 | 情報なし |
| 2人目 | オーストラリア人 | オーストラリア滞在中 | 息子 |
| 3人目 | 日本人のリコ | 1994年ごろから現在 | 娘 |
なお、2人目の妻と死別したという記述をネット上で見かけることがありますが、これは本人の発言とは食い違っています。
ロバートハリスさん自身は「離婚して再婚してまた離婚した」と話しているので、2人の元妻とはいずれも離婚だったと考えるのが自然です。
息子はオーストラリアで暮らしている
ロバートハリスさんには、娘のほかに息子が1人います。
FORZA STYLEで本人が語ったところによると、息子は2番目の妻であるオーストラリア人女性との間に生まれた子どもです。
2016年時点で28歳ということなので、1987年から1988年ごろの生まれですね。
「すごいでかくてムキムキで面白いやつなんですけど、日本語話せないんですよ」と紹介されていました。
それでも関係はかなり良好なようで、「彼からは毎週電話がかかってくる」とのこと。
内容が「最近女の子にフラれたんだけどどう思う?」で、ロバートハリスさんが「分かんねーよ」と答えるという、なんとも力の抜けたやり取りだそうです。
国も言語も違うのに毎週電話が来る親子関係、いいですよね。
ちなみにWikipediaにはオーストラリア滞在中の最初の結婚で息子が生まれたと書かれていますが、本人は2つの媒体で2番目の妻との子だと語っています。
本人発言が複数そろっている以上、息子は2人目の妻との子どもと見るのが妥当でしょう。
なお2020年のリコさんのnoteには「2〜3年後にオーストラリアから帰ってくる息子」という記述があり、日本に戻る計画があったことがうかがえます。
家族構成は妻と娘と息子
ここまでの情報を整理すると、家族構成は次のようになります。
| 続柄 | 概要 |
|---|---|
| 妻 | リコ。日本人。元アパレル関係で文章の仕事 |
| 娘 | 1998年ごろ生まれ。妻リコとの子 |
| 息子 | 1987年から88年ごろ生まれ。2人目の妻との子。オーストラリア在住 |
| 父 | J・B・ハリス。ウェールズ人で英語講師 |
| 母 | 平柳富美子。眼科医。2018年ごろ93歳で他界 |
ロバートハリスさん自身は日本とイギリスのクオーターで、日本名は平柳進さんといいます。
FORZA STYLEで子どもの数を聞かれた際も、娘と息子の2人だとはっきり答えているので、子どもは娘と息子の2人で確定です。
2人の弟を亡くした過去
家族の話でどうしても触れておきたいのが、弟さんのことです。
Wikipediaには2人の弟は他界していると記載されています。
死因や時期については公表されていません。
ただ、この出来事がロバートハリスさんにとってどれほど重いものだったかは、自伝の執筆エピソードから伝わってきます。
日豪プレスのインタビューで、本人はこう語っているんです。
「自伝を執筆する中で一番問題だったのは『弟の死』について書かなければいけないところでした」。
「そのことに触れると未だに苦しくて仕方ないのですが、弟の死を書こうとすると苦しくてどうしても書けなくなってしまい筆を置いてしまったんです」。
結果、自伝の執筆は1年ほど書いたところで一度断念しています。
……これは、きつかったでしょうね。
その後、別の出版社からの誘いをきっかけに執筆を再開し、弟の死の箇所も何とか乗り越えて書き切りました。
妻が原稿を支えた『エグザイルス』には、そこまでの重みがあったということです。
2024年に公表した食道がん
近年の話題としては、健康面のニュースがあります。
2024年10月4日、ロバートハリスさんは自身がパーソナリティを務めるラジオ番組『Otona no Radio Alexandria』で、初期の食道がんに罹患していることを公表しました。
同番組はInterFM897とJFN系で平日の昼に放送されている、2021年4月スタートの長寿番組です。
番組では60歳から75歳くらいのプレミアム世代に向けて、音楽と対話を届けています。
病状の詳細やその後の経過について、ここで推測を重ねるのは避けますね。
本人が自分の言葉で、自分の番組で伝えたという事実だけをお伝えしておきます。
ロバートハリスの妻のまとめ
- ロバートハリスの妻はリコという日本人女性
- 名前は本人のnote連載「リコの家づくりノート」で妻自身が明かしている
- 妻は元アパレル関係で、カタログの文章を書く仕事をしていた
- 結婚は3回目で、リコは3人目の妻にあたる
- 出会いは女性と関わるのはやめようと日記に書いた当日だったと本人が語っている
- 会った瞬間に結婚したいと思い、半年後に結婚している
- 3人の妻すべてと出会いから半年で結婚したと本人が話している
- 2016年時点で結婚22年目と語っており、結婚は1994年ごろとみられる
- 自伝『エグザイルス』の手書き原稿を妻がワープロで打ち直し編集していた
- ゴーストライター版に妻が抗議し、オリジナル版での出版が決まった
- エッセイ『WOMEN ウィメン』では最終章で妻をべた褒めしている
- 義母である眼科医の平柳富美子とは長く良好な同居関係だった
- 夫婦で築60年超・75坪の自宅の建て替えを決断している
- 娘は本人が50歳のときに誕生し、1998年ごろの生まれ
- 妻の年齢や旧姓、出身地は公表されていない

