「泣くな研修医」の著者で外科医の中山祐次郎さんについて調べていると、奥さんの名前がどこにも出てこないことに気づきます。
実は中山さん、自分の浪人生活まで公表している方なのに、奥さんの属性だけはきれいに伏せているんですよね。
それでも本人が書いた文章を追っていくと、名前が分からなくても夫婦の姿がはっきり見えてきます。読んでいて胸が熱くなる場面もありました。
・中山祐次郎の妻の名前・年齢・職業が公表されていない理由
・夫を先生と呼ぶ関係と、福島赴任を送り出したときの言葉
・コロナ禍で立ち会えなかった2021年の出産と、退院までの5日間
中山祐次郎の妻は名前も職業も非公表
「泣くな研修医」の著者として知られる中山祐次郎さんですが、奥さんについて調べても名前が出てこなくて戸惑った方も多いのではないでしょうか。
ここでは、中山さん自身が書いた文章から分かる奥さんの姿を、時系列で整理していきますね。
妻の名前や職業は公表されていない
まず結論からお伝えします。
中山祐次郎さんの奥さんの名前・年齢・職業は、どの媒体にも出てきません。
Wikipediaにも、所属先である湘南医療大学の臨床教授紹介ページにも、新潮社の著者プロフィールにも、配偶者の欄そのものがないんですよね。
中山さんはYahoo!ニュースのエキスパートを務め、日経ビジネスや東洋経済オンラインにも寄稿している、いわば「書く人」です。
自分の生い立ちや職歴、患者さんとのやり取りまでかなり踏み込んで書いている方なのに、奥さんの属性だけはきれいに伏せられています。
つまり、情報が見つからないのではなく、意識的に出していないということかなと思います。
医師という職業柄、家族が特定されることのリスクは人一倍分かっているはずですし、ここは筆者としての線引きなんでしょうね。
実家や年齢についても記載はない
奥さんの出身地や実家、年齢についても同じで、公的な情報源では一切確認できませんでした。
ネット上には「一般女性とみられる」といった書き方をしているまとめ記事もありますが、これは根拠のある発表ではなく、書き手の推測です。
ただ、中山さんの文章に出てくる奥さんの姿を追っていくと、医療の専門用語を挟まずに日常のやり取りが描かれていることが多いんですよね。
そこから考えると、少なくとも同じ病院で働く同僚といった描かれ方はされていない、とは言えそうです。
とはいえこれもあくまで文章から読み取れる印象の話なので、断定はできません。
妻が夫を「先生」と呼ぶ理由
名前は分からなくても、夫婦の距離感がよく分かるエピソードがあります。
中山さんが自身のnote「月刊中山祐次郎」に書いているのですが、奥さんは中山さんのことを「先生」と呼ぶそうなんです。
医師の妻だから敬意を込めて、という話かと思いきや、由来はまったく違いました。
付き合う前に一緒にいた友人グループの中で、中山さんのあだ名が「先生」だったから、というだけの理由なんだそうです。
……なんか、いいですよね。
交際が始まっても、結婚しても、子どもが生まれても、そのあだ名がそのまま残っている。
職業としての先生ではなく、友達だったころの呼び名がずっと続いているというのが、この夫婦の関係をよく表しています。
外では大腸がんの手術を年間200件近く執刀する外科医でも、家では友人グループ時代の「先生」のまま。
そのギャップが、ちょっと微笑ましいです。
福島行きを送り出した交際時代の言葉
2人の関係を語るうえで外せないのが、中山さんが福島へ移ったときの話です。
中山さんはnote「30代最後の日」の中で、自分の30代を1年ずつ振り返っています。
その35歳の項目に、当時同棲していた交際相手のことが出てきます。
東京の病院から福島県の病院へ移ると告げたとき、相手はこう言ったそうです。
「行ってきて。私はあなたを誇りに思う」
赤い目でそう言ってくれた、と中山さんは書いています。
そしてこの交際相手が、のちの奥さんです。
正直、読んでいて胸が熱くなりました。
中山さんが向かった先は、原発から20キロ台の距離にある病院でした。
プレジデントオンラインの記事でも語られていますが、友人の死をきっかけに「人生の締め切り」を意識したことが、その決断の背景にあったといいます。
外科医としてのキャリアを考えれば、東京に残るほうが安全な選択だったはずです。
それを止めずに、しかも「誇りに思う」という言葉で送り出す。
名前も職業も分からない奥さんですが、この一言だけで、どういう人なのかがかなり伝わってきます。
結婚記念日の投稿から分かる結婚時期
では2人はいつ結婚したのでしょうか。
籍を入れた日について、公式に発表されたものはありません。
ただ、中山さんのInstagramに手がかりがあります。
8回目の結婚記念日に、妻から貰ったと書かれた投稿が残っているんですね。
この投稿は2025年の春ごろのものです。
そこから逆算すると、結婚は2017年ごろということになります。
時期を並べてみると、流れが見えてきます。
| 時期 | 中山祐次郎さんの動き |
|---|---|
| 35歳ごろ | 東京の病院から福島の病院へ。交際相手が送り出す |
| 2017年2月 | 福島県の高野病院で院長に就任 |
| 2017年4月 | 総合南東北病院の外科医長に |
| 2017年ごろ | 結婚記念日の投稿から逆算される結婚時期 |
| 2021年10月 | 神奈川県茅ヶ崎市の湘南東部総合病院へ |
福島での日々と結婚の時期が、ほぼ重なっているんです。
ただし、これはInstagramの投稿1件からの逆算なので、月日まで確定できるわけではありません。
あくまで2017年前後という目安として受け取ってもらえればと思います。
ゆるやかな妊活の末に授かった第一子
結婚から数年後、夫婦に転機が訪れます。
中山さんはnote「妻の妊娠、しずかな恐怖」の中で、その日のことを書いています。
中山さんが40歳になる年の7月、つまり2020年の夏に、第一子を授かったことが分かりました。
夫婦はゆるやかな妊活をしている状態だったといいます。
積極的な治療というより、自然に任せながら待つ、という距離感だったんでしょうね。
その分、もしかしたらできないのではないかという不安も、2人で共有していたそうです。
印象的なのは、奥さんの切り出し方です。
「怒らないで聞いてほしい」
そう前置きして、おそるおそる中山さんの顔色をうかがったと書かれています。
嬉しい知らせのはずなのに、まず相手の反応を心配してしまう。
これ、なんだか分かる気がしませんか。
長く待った分だけ、いざその瞬間が来ると身構えてしまうんですよね。
定食屋でアジフライ定食を注文する、といった何気ない日常の情景と一緒に描かれているところも、この文章が読ませる理由だと思います。
40歳を目前にして授かった第一子は、夫婦にとって長く待った知らせでした。
コロナ禍で立ち会えなかった出産
ここからが、この夫婦にとって一番きつい局面でした。
出産は2021年3月ごろ。
ちょうど新型コロナウイルスの影響が続いていた時期で、病院の面会制限が最も厳しかったころです。
中山さんは日経Goodayの連載で、こう書いています。
立ち会いはおろか、退院するまで一度も病棟に入れなかった。
自分自身が医師でありながら、妻が出産する病棟には一歩も入れない。
連絡が来たのは午前2時過ぎで、帝王切開の可能性も伝えられていたそうです。
奥さんはその出産に向けて、十ヶ月以上、大好きなお酒を断ち、痛み止めも飲まずに過ごしていました。
そして入院してからは、10時間以上続く間歇的な腹痛にほぼ徹夜で耐えたといいます。
夫はそのあいだ、テレビ電話の画面越しにしか妻と子に会えませんでした。
中山さんは、妻の死亡リスクが人生で最も高まる瞬間に手を握ってやれなかった後悔は小さくない、と書いています。
……これはきつかったでしょうね。
産科の現場を知っている医師だからこそ、何が起こりうるかも全部分かってしまう。
知識があることが、そのまま不安の大きさになってしまった出産でした。
外科医という仕事も立ち会いを阻んだ
もうひとつ、立ち会いを難しくした事情があります。
外科医の予定手術は、何週間も前からスケジュールが組まれています。
患者さんと手術室と麻酔科の予定が全部つながっているので、出産のタイミングに合わせて動かすことが事実上できません。
面会制限がなかったとしても、立ち会いは難しかった可能性が高いということです。
このあたり、医師という職業のリアルが出ているなと思いました。
退院までの5日間を過ごした夫の心境
妻と子が病院にいるあいだ、中山さんは自宅で1人でした。
日経Goodayの連載で、そのときの様子が正直に書かれています。
妻がいなくなったリビングで1人お酒を飲み、最悪の事態を想像してしまう夜があったそうです。
もしそうなったら、ここには住んでいられないな。
そこまで考えてしまうほど追い込まれ、毎晩寝付きが悪くなり、酒量は増えていったといいます。
奥さんと赤ちゃんが退院してきたのは、出産から5日後でした。
その日、中山さんは仕事が手につかず早退したと書いています。
まだ見ぬ我が子に初めて会える日ですからね。
年間200件近い手術を執刀する外科医が、仕事が手につかないと書いてしまうくらいですから、相当だったんだと思います。
生まれたのは息子さんでした。
出産直後、奥さんはほんとにかわいいよと喜びを伝え、そして中山さんに感謝を述べたそうです。
自分のほうがずっと大変だったはずなのに、先にお礼を言う。
それに対して中山さんが書いた一文が、この連載でいちばん印象に残りました。
一生妻にかなわないな。
十ヶ月以上の我慢と、10時間を超える痛みと、それでも先に相手を気づかう姿を見て出てきた言葉です。
なんというか、じんわりしますよね。
夫婦の子育てと暮らしぶり
出産を終えたあとの日常についても、断片的にですが分かることがあります。
日経Goodayの連載では、外科医としてのスキルが子育てで意外な形で役に立つ、という話が語られています。
手先の細かさや、限られた時間で段取りを組む力といったものは、たしかに乳児のいる家庭では強い武器になりそうです。
夫婦の時間についても触れられていて、子どもを寝かしつけたあとに2人で過ごす時間を大切にしている様子が書かれています。
妻の手作りのお菓子が登場する
中山さんのInstagramには、奥さんの手料理が時々登場します。
妻の作るヨーグルトムースが悶絶するほどうまい、と書いた投稿もありました。
顔も名前も出さないのに、作ったお菓子のおいしさだけはしっかり書く。
……なんか、この距離感が好きなんですよね。
名前も職業も伏せたまま、それでも夫婦の温度だけはちゃんと伝わってくる。それが中山祐次郎さんの書き方です。
中山祐次郎の妻を調べる人向けの関連情報
ここからは、中山祐次郎さん本人について気になるポイントをまとめておきますね。
奥さんを調べていた方が一緒に検索していることが多い項目を選びました。
現在は湘南東部総合病院の外科医
中山さんの現在の勤務先は、神奈川県茅ヶ崎市にある湘南東部総合病院の外科です。
2021年10月からここに勤務しています。
あわせて湘南医療大学の臨床教授も務めていて、研究者情報データベースのresearchmapにも登録があります。
これまでの職歴を整理すると、こんな流れです。
| 時期 | 所属 |
|---|---|
| 研修〜 | 都立駒込病院 外科初期・後期研修 |
| 〜2017年 | 都立駒込病院 大腸外科 |
| 2017年2月 | 福島県 高野病院 院長 |
| 2017年4月 | 総合南東北病院 外科医長 |
| 2021年10月〜 | 湘南東部総合病院 外科 |
東京から福島、そして神奈川へ。
奥さんが行ってきてと送り出した福島の日々は、この表の真ん中にあたる時期ということになります。
医師としての評判と年間200件の手術
中山さんの専門は、大腸がんと鼠径ヘルニアの手術です。
湘南医療大学の紹介ページによると、年間およそ200件の手術を執刀しているとのこと。
持っている資格も並べてみると、その専門性がよく分かります。
| 保有資格 |
|---|
| 外科専門医 |
| 消化器外科専門医 |
| 内視鏡外科技術認定資格(大腸) |
| ロボット手術指導者資格(大腸プロクター) |
外科教育や感染管理も専門分野に挙げていて、若手を育てる側にも回っています。
執筆活動が目立つ方ですが、本業の手術件数と資格を見るかぎり、書く仕事に軸足を移した医師というわけではありません。
両親についての情報は見つからない
奥さんと同じく、ご両親についても情報は公表されていません。
Wikipedia、新潮社の著者プロフィール、湘南医療大学の紹介ページのいずれにも、父母の名前や職業の記載はありませんでした。
分かっているのは、1980年6月10日生まれで神奈川県出身ということだけです。
学歴を見ると、聖光学院中学校・高等学校を卒業しています。
神奈川県内でも屈指の進学校として知られる学校ですね。
その後2年間、代々木ゼミナール横浜校で浪人生活を送り、鹿児島大学医学部医学科に進んでいます。
浪人期間も含めてはっきり公表しているところが、いかにも中山さんらしいなと思います。
家族に中国文学者の大叔父がいる
ご両親の情報がない一方で、親族についてはひとつだけ記載があります。
大叔父が、中国文学者の目加田誠さんです。
目加田誠さんは中国文学の研究者として知られる人物です。
医師の家系というより、学問の世界とつながりのある家柄ということになりますね。
ちなみに中山さん自身も、鹿児島大学医学部を出たあと、京都大学大学院で公衆衛生学の修士を、福島県立医科大学大学院で博士(医学)を取得しています。
臨床だけでなく研究にも進んでいるあたり、この血筋は関係あるのかもしれません。
なお博士号の取得年については、資料によって記載が分かれているため、ここでは年を特定せずにおきます。
書籍とドラマ化された泣くな研修医
最後に、著述家としての中山さんについても触れておきます。
代表作を並べるとこうなります。
| 刊行年 | 書名 | 出版社 |
|---|---|---|
| 2018年 | 医者の本音 | SBクリエイティブ |
| 2019年 | 泣くな研修医 | 幻冬舎 |
| 2022年 | 逃げるな新人外科医 | 幻冬舎 |
このほかに「俺たちは神じゃない」シリーズもあり、小説の刊行は現在も続いています。
泣くな研修医シリーズはテレビ朝日系列で連続ドラマ化されました。
シリーズの累計部数については、資料によって70万部超と57万部超で数字が分かれているため、ここでは幅のある数字として受け取っておくのがよさそうです。
日経BOOKプラスやYahoo!ニュース エキスパート、東洋経済オンライン、日経ビジネスなどにも継続的に寄稿していて、医師と書き手の二足のわらじを長く続けています。
そして、その書き手としての判断で、奥さんのことは名前も職業も伏せられたままになっている、というのがここまでの答えです。
中山祐次郎の妻のまとめ
- 中山祐次郎の妻の名前・年齢・職業はどの媒体でも公表されていない
- Wikipediaや所属先の紹介ページにも配偶者の記載自体がない
- 情報が無いのではなく、本人が意図的に出していないと考えられる
- 妻は夫を先生と呼ぶ。付き合う前の友人グループでのあだ名が由来
- 35歳ごろ、福島の病院へ移る決断を「行ってきて。私はあなたを誇りに思う」と送り出したのが当時の交際相手で、のちの妻
- 結婚時期は本人のInstagramの8回目の結婚記念日の投稿から2017年ごろと逆算される
- ただし結婚の正確な年月日は公式には発表されていない
- 第一子の妊娠が分かったのは、本人が40歳になる年の2020年7月
- 夫婦はゆるやかな妊活の状態で、妊娠を待つ不安も共有していた
- 妻は「怒らないで聞いてほしい」と切り出して妊娠を報告した
- 出産は2021年3月ごろで、コロナ禍のため夫は立ち会えず病棟にも入れなかった
- 妻は十ヶ月以上禁酒し、入院後は10時間以上の陣痛に耐えた
- 妻子の入院中、夫は一人酒を飲み最悪の事態を想像するほど追い詰められていた
- 出産から5日後に妻子が退院し、その日は仕事が手につかず早退したという
- 生まれたのは息子で、妻の姿を見た夫は一生妻にかなわないなと書いている

