武田双雲さんを検索すると出てくる「元妻」という言葉、気になって調べに来た方が多いのではないでしょうか。
結論からお伝えすると離婚歴はなく、その言葉が生まれた理由は本人のブログの中にありました。
妻・玲子さんが深夜2時まで名刺を切って独立を支えた話まで読むと、印象がガラッと変わると思いますよ。
・武田双雲に元妻がいないと言い切れる根拠と、噂が生まれた本当の出どころ
・妻・武田玲子のプロフィールとNTT同期入社だった馴れ初めの詳細
・独立初期を支えた玲子のエピソードと、3人の子供の現在
武田双雲に元妻はいない!妻は玲子
「武田双雲 元妻」で検索すると、まるで離婚歴があるかのような印象を受けますよね。
でも結論から言うと、そこには大きな勘違いがあります。
ここでは元妻という言葉が出回った理由と、20年以上連れ添っている妻・玲子さんの人物像を、順番に見ていきますね。
元妻はおらず離婚歴もない
まず、いちばん知りたいところからお答えします。
武田双雲さんに元妻は存在せず、離婚歴もありません。
書道家として名前が知られてから20年以上経ちますが、離婚を報じた記事も、本人が離婚に触れた発言も見当たらないんですよね。
Wikipediaの経歴欄にも、離婚や再婚についての記述は一行もありません。
代わりに書かれているのは、母・武田双葉さんに3歳から師事したこと、東京理科大学を出てNTT東日本に入社したこと、そして息子さんがいること。
つまり「元妻」という言葉が指す相手は、そもそも最初から存在していないわけです。
ここ、意外に思った方も多いんじゃないでしょうか。
検索候補にあれだけ堂々と並んでいると、つい「何かあったのかな」と思ってしまいますよね。
でも実際のところ、武田双雲さんは2003年に結婚した玲子さんと、今も同じ家庭を続けているんです。
しかも「妻の支えがあってこそ」と公の場で繰り返し語っているくらいで、むしろ夫婦のエピソードのほうが表に出てきやすい人でもあります。
逆に「愛妻家」として語られることのほうが多い
離婚の話が出てこない一方で、武田双雲さんが妻について語った記事はかなりの数があります。
婦人公論のインタビューでは「ADHDの僕がやりたいことを出来るのは、妻の支えがあってこそ」というタイトルが付けられていました。
週刊女性PRIMEでも「妻と二人で泣いた夜」という見出しで夫婦の話が取り上げられています。
離婚の噂が立つどころか、夫婦関係そのものがコンテンツになっているタイプの人だと言ったほうが実態に近いかもしれません。
元妻の噂が出たのはブログの相談記事
では、なぜ「元妻」という検索ワードが生まれてしまったのか。
ここが今回いちばんの核心です。
原因は、武田双雲さん本人のブログにある悩み相談コーナーの記事でした。
武田双雲さんは長年ブログを続けていて、その中で読者から寄せられた悩みに答えるコーナーを設けています。
そこに「再婚したら、元奥さんが、、」というタイトルの記事が掲載されていたんですね。
これは読者から届いた相談を紹介した回であって、武田双雲さん自身の話ではありません。
ところが検索エンジンから見れば、「武田双雲」というドメインの中に「再婚」「元奥さん」という単語が並んでいる状態になります。
そこから連想されて、いつのまにか「武田双雲 元妻」という組み合わせで検索する人が現れ、候補として定着してしまった。
……なんというか、ちょっと気の毒な話ですよね。
人の相談に乗った記事が、そのまま自分の噂の火種になってしまったわけですから。
悩み相談コーナーがそもそも噂を生みやすい構造
この手の誤解は、実は珍しいことではありません。
相談コーナーは性質上、離婚・不倫・借金・親子関係といった重いテーマを扱うことになります。
書き手の名前で運営されているブログにそういう単語が並べば、検索する側は書き手本人の話だと受け取りやすい。
時系列で考えると、武田双雲さんの場合も「相談記事が公開される」→「検索エンジンに単語が拾われる」→「サジェストに残り続ける」という流れをたどった可能性が高そうです。
一度サジェストに載ってしまうと、そのワードで検索する人が増えて、さらに定着していく。
噂の中身がないまま、検索候補だけが独り歩きしている典型例だと言えます。
妻・玲子のプロフィール
では、実際の妻はどんな方なのでしょうか。
武田双雲さんの妻は武田玲子さん、1976年生まれの神奈川県出身です。
双雲さんが1975年6月9日生まれなので、1つ年下ということになりますね。
学歴は慶應義塾大学の文学部を卒業。
そのままNTTに入社し、社会人生活のスタートを切っています。
いわゆる芸能人ではなく一般の方なので、顔写真や詳細な近況が大きく出ることはありません。
ただ、武田双雲さんが取材で語る内容からは、かなり芯のある人柄が浮かび上がってきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 武田玲子 |
| 生まれ | 1976年・神奈川県 |
| 学歴 | 慶應義塾大学文学部 |
| 経歴 | 1998年にNTT入社 |
| 双雲との関係 | NTTの同期入社 |
| 結婚 | 2003年 |
| 子供 | 3人(息子2人・娘1人) |
なお、玲子さんが2002年にIT企業へ転職したという情報もありますが、こちらは1つのメディアでしか確認できませんでした。
独立後は事業の裏方も担っている
玲子さんは、家庭の中だけの存在ではありません。
婦人公論のインタビューで武田双雲さんが語ったところによると、妻が会社の経理を担当しているとのこと。
さらに、カリフォルニアへの移住を取り上げた記事でも「妻が家の会計・マネジメントを担当している」と紹介されています。
書道家としての活動と、生活と、お金まわり。
そのうちのかなりの部分を、玲子さんが引き受けている形なんですね。
武田双雲さん自身がADHDと診断されていて、スケジュールや持ち物の管理が苦手だと公言していることを考えると、この役割分担にはかなり実務的な意味がありそうです。
馴れ初めはNTTの同期入社
2人の出会いは、書道とはまったく関係のない場所でした。
武田双雲さんと玲子さんは、1998年にNTTへ同期入社した仲です。
当時の双雲さんは東京理科大学の理工学部を出たばかりで、営業職として配属されています。
書道家になるとは、本人もまだ思っていなかった時期ですね。
出会いの場面について、武田双雲さんは婦人公論でこう振り返っています。
「大勢の新入社員が研修している中で、なぜか彼女だけが光って見えたんです」
……なかなかストレートですよね。
一目惚れだったわけです。
第一印象については話が食い違っている
面白いのは、この出会いの場面の描かれ方が、情報源によって少し違うことです。
ある記事では、双雲さんが一目惚れしたものの最初は話しかけられなかった、とされています。
別の記事では、支店の社員全員が集まった会で、玲子さんのほうから「よろしく!武田です」と話しかけてきた、と書かれているんですね。
さらに玲子さん側は、最初は双雲さんを「苦手なタイプ」だと感じていたという話もあります。
どちらが正確なのかは確定できませんが、少なくとも「双雲さんのほうが先に惹かれていた」という点では一致しています。
初対面で好印象を持たれていなかったところから始まっている、というのも、なんだかリアルでいいですよね。
交際は配属半年後から始まった
一目惚れから交際まで、実はそれなりに時間がかかっています。
2人は同じ部署に配属されることになり、そこから約半年後、1999年頃に交際がスタートしました。
玲子さんが「苦手なタイプ」と感じていた第一印象が、毎日顔を合わせるうちに変わっていったということのようです。
武田双雲さんのキャラクターは、取材記事を読む限りかなり独特で、テンションも高め。
初対面では受け止めきれなくても、しばらく一緒に仕事をしていると慣れてくる、というのは想像しやすい話ですよね。
そして交際が始まって1年ほど経った頃、武田双雲さんはNTTを退職します。
社員の名前を毛筆で代筆したところ、思いのほか喜ばれたことがきっかけだったと語られています。
安定した会社員の彼氏が、突然「書道で食べていく」と言い出したわけです。
……付き合っている側からすれば、なかなかの展開ですよ、これは。
2003年の結婚と独立を支えた日々
交際から数年を経て、2人は2003年に入籍します。
ただ、このタイミングは決して安泰な時期ではありませんでした。
武田双雲さんはすでにNTTを辞めていて、書道家としては駆け出し。
母・武田双葉さんの書道教室で1年学んだあと、ストリート書家として活動を始めた段階です。
玲子さん自身は「普通のサラリーマンとの結婚を望んでいた」と、双雲さんが振り返っています。
それでも、彼女は逃げませんでした。
毛筆名刺の作業を深夜2時まで手伝っていた
独立初期の武田双雲さんは、毛筆で名前を書いた名刺の販売を手がけていました。
その現場を支えていたのが玲子さんです。
婦人公論のインタビューで、武田双雲さんはこう語っています。
「当時はまだ結婚前だったのですが、そんな僕の勢いに押されて、妻も、毎日、会社が終わった後に手伝いに来てくれました」
具体的な作業内容も明かされていて、夜中の2時まで名刺を切る作業をし、受注や発送のメールのやりとりまで担当していたそうです。
自分の仕事を終えてから、彼氏の事業を毎晩手伝う。
しかも結婚前に、です。
これはもう、かなりのことだと思いますよ。
「辛い…、これっていつまで続くの?」と泣いた夜
ただ、当然ながら限界も来ます。
ある日、玲子さんは「辛い…、これっていつまで続くの?」と泣き出してしまいました。
このとき武田双雲さんが返した言葉が、なかなか強烈です。
「泣いている場合じゃないよ。これからすごいことが起きるんだから!」
……正直、読んでいてちょっと胸が痛くなりました。
相手が限界を訴えているのに、まったく届いていないんですよね。
武田双雲さん本人も、後にこの場面を振り返って反省を口にしています。
ADHDの特性として「小さな子が新しいオモチャに夢中になるように、ひとたび何かに夢中になると自分の周りのことがまったく見えなくなってしまう」と自己分析しているんですね。
当時は悪気があったのではなく、本当に見えていなかった。
そのことに気づけたのは、ずっと後になってからだったようです。
夫婦で泣いた夜と胆のうの病気
夫婦の距離が一度大きく縮まった出来事が、週刊女性PRIMEの取材で語られています。
武田双雲さんが胆のうの病気を患った時期のことです。
このとき玲子さんは、半年もの間「もう、つらい」という本音を口に出さずに抱えていたそうです。
半年、です。
夫の看病と、3人の子育てと、会社のお金まわりを回しながら、自分の弱音だけは言わずにいたわけですね。
その一言がようやくこぼれたとき、2人は泣きながら本音をぶつけ合ったといいます。
武田双雲さんはこの経験について「ギリギリのところで相手の前で弱音を吐けることって、すごく必要」と語っています。
……じんわりきますよね、この言葉。
育児では「手伝ってあげている」姿勢から始まった
夫婦の関係は、最初からうまくいっていたわけではありません。
武田双雲さんは自分のことを九州男児だと表現していて、育児に対する当初の姿勢を正直に明かしています。
「母親の仕事を手伝ってあげている」という感覚だったそうです。
玲子さんがオムツ交換を促すと、「いつも替えてる」とムキになって言い返していた、とも。
これ、言われた側からすればかなりカチンときますよね。
言い合いになると夜のドライブに出かけた
そんな2人が編み出した解決策が、少し変わっています。
言い合いになったとき、夫婦で夜のドライブに出かけるようにしたそうです。
子どもをチャイルドシートに乗せると自然に寝てくれるので、結果的に2人きりでゆっくり話せる時間が生まれる。
その車内で、お互いの理想の子育てについて話し合いを重ねていったといいます。
ケンカを終わらせるのではなく、話し合える環境をつくったというのが、この夫婦らしいところだと思いました。
こうした積み重ねがあってか、武田双雲さんは2019年6月、第38回ベスト・ファーザー イエローリボン賞(学術・文化部門)を受賞しています。
子供は息子2人と娘1人
武田双雲さんと玲子さんの間には、3人の子供がいます。
内訳は息子が2人、娘が1人。
2015年時点の取材では、家族構成が「妻、息子(小5)、娘(小2)、息子(2歳)」と紹介されていました。
長男は武田智生さん、2005年生まれです。
Wikipediaにも息子として名前が記載されています。
長女は武田みずきさん、次男は武田大生さんとされていますが、こちらの2人の名前は1つのメディアでしか確認できませんでした。
学校についても公表されていません。
長男は不登校から高卒認定、そしてアメリカへ
長男・智生さんについては、少し詳しい情報があります。
湘南学園に在籍したあと、中学3年で不登校になったとされています。
そこから高卒認定試験に最年少で合格し、アメリカへ留学したという流れです。
ただ、この経歴は1つのメディアにしか記載がなく、裏付けは取れていません。
武田双雲さんが「子どもたちが、毎日、元気に生きてくれているだけで素晴らしい」と語っていることを踏まえると、学校に行くかどうかを絶対視しない家庭だったのだろうな、とは想像できます。
実際、武田双雲さんは育児エッセイ『「子どもといること」がもっと楽しくなる怒らない子育て』(主婦と生活社)を出版していて、子育て観についてはかなり発信している人でもあります。
武田双雲の元妻を調べる人向けの関連情報
元妻の話は決着がついたので、ここからは武田双雲さんそのものについて、よく一緒に検索されている話題をまとめておきますね。
家族のことから発達障害の公表、自宅や今後の拠点まで、まとめて確認できます。
母は書道家の武田双葉
武田双雲さんが書道家になった背景には、家庭環境があります。
母親は書家の武田双葉さんで、双雲さんは3歳からその指導を受けてきました。
つまり、物心つく前から筆を持っていたわけですね。
父親は武田圭二さんという方で、競輪専門紙の記者をしていたとされています。
さらに弟が2人いて、武田双龍さんと武田双鳳さんは、どちらも書道家です。
母と兄弟3人がそろって書の道に進んでいる、かなり珍しい一家なんですよ。
なお、武田双雲さんの本名は武田大智さんです。
「双雲」は書道家としての号ということになりますね。
ADHDを公表した発達障害の話
武田双雲さんは、自身が発達障害であることを公表しています。
注意欠陥・多動性障害、いわゆるADHDと診断されたことを明かしていて、これは検索でもよく調べられている話題です。
診断の時期については情報が分かれていて、2016年頃とする記述と、47歳のときに精神科医の岩波明さんから診断を受けたとする記述があります。
公表した時期と診断された時期がずれている可能性もありそうです。
本人が語る具体的な症状は、かなり生活に密着したものでした。
「電車に荷物を置き忘れるのはしょっちゅうだし、仕事のスケジュールも頭からすぐに抜けてしまう」
毎日たくさんのミスをしている、とも語っています。
幼少期から生きづらさを抱えていた
診断はずっと後になってからでしたが、困りごと自体は子どもの頃から続いていたようです。
幼稚園の頃は「クラスの人気者」で「めちゃくちゃ明るい性格」だったのに、小学5年生で「人生に暗雲が立ち込めた」と本人が表現しています。
規則に従えず怒られることが増えていったんですね。
さらに中学の野球部では、3年間にわたる集団無視を受けたと明かしています。
……これは、きつかったでしょうね。
その後、週刊女性PRIMEの取材では「ADHDは生まれ持ったキャラクター」と語り、公表から7年経った時点で「47歳になってさすがに反省の仕方がわかってきた」と話しています。
診断がついたことで、自分を責める段階から使いこなす段階へ移っていったのが伝わってきます。
自宅は藤沢市で書道教室を主宰
武田双雲さんの活動拠点として知られているのが、神奈川県の湘南エリアです。
自宅は神奈川県藤沢市にあり、そこで約22年間にわたって書道教室を開催してきたとされています。
主宰している教室の名前は「ふたばの森」。
門下生は約300名にのぼると紹介されています。
母・武田双葉さんの名前から取られた教室名だと考えると、家族のつながりが見えてきますね。
湘南にアトリエを構えていることは複数の取材記事で触れられていて、テレビ出演時にも自宅が紹介されることがあります。
熊本市出身でありながら、書道家としての活動の中心はずっと湘南だった、ということになります。
カリフォルニア移住の計画
近年の武田双雲さんについて調べると、必ず出てくるのが海外移住の話です。
湘南の次の拠点として、アメリカ・カリフォルニア州への移住を計画していると報じられています。
女性自身の記事では「カリフォルニアに移住します」という本人の言葉が見出しになっていました。
移住先はロサンゼルスから車で約90分ほどの田舎町だとされ、すでに現地に自宅を購入済みという情報もあります。
長男の智生さんが先にカリフォルニアの高校へ留学していたことを考えると、家族としてアメリカとの接点は以前からあったことになりますね。
武田双雲さんは移住の動機について、想像を超えた変化を経験したいという趣旨のことを語っています。
そして、この計画でも会計とマネジメントを担っているのが妻・玲子さんです。
元妻を探して検索した先にあったのは、20年以上一緒に走り続けてきた妻の存在でした。
なお、移住に関する情報は限られたメディアの報道が中心で、時期や現在の状況については変わっている可能性があります。
武田双雲の元妻のまとめ
- 武田双雲に元妻はおらず、離婚歴も確認できない
- 「元妻」が検索されるのは本人ブログの悩み相談記事が原因とされる
- そのブログ記事は「再婚したら、元奥さんが、、」という読者からの相談
- 相談記事の単語が検索エンジンに拾われ、サジェストとして定着したとみられる
- Wikipediaの経歴にも離婚・再婚の記述は一切ない
- 妻は武田玲子で、1976年生まれの神奈川県出身
- 玲子は慶應義塾大学文学部を卒業後、1998年にNTTへ入社
- 2人はNTTの同期入社で、同じ部署に配属された
- 双雲は研修中に一目惚れしたと語っている
- 交際は配属から約半年後の1999年頃に始まった
- 入籍は2003年で、双雲がすでに独立した後だった
- 玲子は独立初期、深夜2時まで毛筆名刺の作業を手伝っていた
- 双雲が胆のうの病気を患った際、玲子は半年間つらさを言えずにいた
- 子供は3人で、長男は2005年生まれの武田智生
- 双雲は2019年に第38回ベスト・ファーザー イエローリボン賞を受賞している
- 双雲の母は書道家の武田双葉で、弟2人も書道家
- 双雲はADHDと診断されたことを公表している
- 自宅は神奈川県藤沢市で、書道教室「ふたばの森」を主宰
- カリフォルニアへの移住を計画しているとされる

