佐藤公彦(ケメ)の結婚相手は非公表!奥様の存在がわかる3つの証言とは

佐藤公彦(ケメ)の結婚相手は非公表!奥様の存在がわかる3つの証言とは

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70年代に「フォーク界の貴公子」と呼ばれたケメこと佐藤公彦さん。

その結婚相手について、名前は伏せられたままですが、本人の言葉や仲間の証言には奥様の姿がしっかり残っています。

音楽仲間が結婚式のために曲を書いていたというから、ちょっと驚きですよね。

この記事を読むとわかること
・佐藤公彦(ケメ)の結婚相手について公表されていること
・奥様の存在がわかる3つの証言(作詞・結婚式の曲・自宅コンサート)
・子供の有無や同姓同名の結婚報告との見分け方

佐藤公彦(ケメ)の結婚相手は名前非公表の奥様

ケメこと佐藤公彦さんは結婚していて、奥様の名前や職業は公表されていません。

それでも、本人の発言や仲間の証言をたどると、奥様の姿が少しずつ見えてきます。

結婚相手はどんな人?分かっている3つの事実

佐藤公彦さんの結婚相手、気になりますよね。

結論から言うと、奥様の名前・年齢・職業はどこにも公表されていません。

芸能人ではなく、表舞台に出ることのない方だったと考えるのが自然かなと思います。

ただ、結婚していたこと自体は、立場の違う3つのところから確かめられます。

情報源 分かること
本人の発言(2010年・日刊ゲンダイの取材) 奥様を「家内」と呼び、アルバムの作詞を任せていた
丸山圭子さんの公式ブログ ケメの結婚式のために曲を書いた
ファンの追悼ページ 自宅コンサートで奥様がお抹茶を出してくれた

本人・音楽仲間・ファンと、見ている角度がまったく違うのに、どれも「奥様がいた」という点で重なっています。

つまり、佐藤公彦さんの結婚相手は名前こそ伏せられているものの、音楽にも家での時間にも寄り添っていた奥様だったということです。

奥様が作詞したアルバム「ぼくの日」

奥様の人柄がいちばんよく伝わるのが、このエピソードです。

佐藤公彦さんは2009年に音楽活動を再開したあと、自主制作のアルバムを立て続けに出しています。

そのうちの1枚が、2010年8月16日に出た「ぼくの日」です。

2010年に日刊ゲンダイの連載「あの人は今こうしている」に登場したとき、本人がこのアルバムの5曲は奥様が詞を書き、自分が曲をつけたと話しています。

そして、そのほのぼのとした雰囲気がファンに好評だ、とうれしそうに語っていたんです。

……なんか、いいですよね。

収録された5曲

「ぼくの日」に入っているのは次の5曲です。

曲名
小手毬の頃
瑠璃色の空
日曜日
冬将軍
夏日

季節や空の色を題材にした曲名が並んでいて、暮らしの中の小さな景色を大事にする夫婦だったのかな、と想像したくなります。

前作には「ワイフ」が出てくる曲も

その前年、2009年7月に出た復帰作「ひとりからふたりへ」には、「ワイフのサイフは茜色」という曲も入っています。

アルバムの題名もあわせて読むと、ちょっと微笑ましくなりますね。

奥様は作詞という形で、ケメさんの復帰後の音楽づくりに直接かかわっていたということがわかります。

丸山圭子が結婚式のために書いた曲

もうひとつ、結婚にまつわる貴重な証言があります。

「どうぞこのまま」で知られるシンガーソングライターの丸山圭子さんが、2020年5月31日の公式ブログで、ケメの結婚式のために書いた曲の映像が見つかったと明かしているんです。

曲名は「青春のレクイエム」で、ライブではほとんど歌ってこなかった未収録曲とのこと。

ブログに添えられていた映像は、1998年に九段会館で歌ったときのものです。

10代からの仲間だった2人

丸山さんは18歳でエレックレコードに入った頃、ケメさんのコンサートの前座として全国ツアーを回った方です。

丸山さん自身、2人を10代からの仲間だと書いていて、その思い出を歌にしたのがこの曲なんですね。

結婚式がいつだったのかは書かれていませんが、デビュー前後からの仲間が曲を贈るほど、祝福された結婚だったことが伝わってきます。

思わずじんわりしてしまうエピソードです。

佐藤公彦さんの結婚は、フォークの仲間たちに見守られたものだったということです。

自宅コンサートで奥様が出したお抹茶

ファンの側から見た奥様の姿も残っています。

ケメさんのファンサイトにある追悼ページには、自宅で開かれていたコンサートの思い出が寄せられています。

そこには、奥様が出してくれるお抹茶の一服がうれしかったこと、ケメさん本人のお点前を見るのも楽しみだったことが書かれているんです。

夫婦でファンをもてなしていた様子が目に浮かびますよね。

同じページには、天国から奥様を守ってあげてほしい、というファンからのメッセージもありました。

ファンが奥様を身近に感じていたからこそ出てくる言葉だと思います。

奥様は裏方として、ケメさんとファンをつなぐ場にも立っていたということがわかります。

子供の有無は公表されていない

結婚相手と一緒に気になるのが、お子さんのことですよね。

ただ、佐藤公彦さんに子供がいたかどうかは、本人の発言にも訃報にも出てきません。

2017年7月の訃報でも、葬儀は近親者で済ませたと伝えられただけで、家族の名前は出ていないんです。

ネット上には家族がいたはずだと推測する記事もありますが、はっきりした根拠があるわけではありません。

お子さんについては公表がなく、分かっているのは奥様がいたということまでです。

同姓同名の結婚報告には注意

「佐藤公彦 結婚」で検索すると、2012年に軽井沢で結婚式を挙げた「佐藤公彦さん」を祝うブログが上のほうに出てきます。

ただ、このブログにはケメさんや音楽活動についての記述がひとつもありません。

書かれているのは、昔ツーリングやバンドを一緒にした友人としての思い出で、当時60歳だったケメさんとは年代の印象も合いません。

佐藤公彦という名前は珍しくなく、Wikipediaでも歴史学者など同名の別人が案内されています。

この結婚報告はケメさん本人のものとは言えないので、結婚相手の情報として扱わないほうが安全です。

佐藤公彦(ケメ)の結婚相手を調べる人向けの関連情報

ここからは、ケメさんの結婚相手を調べている人がよく一緒に検索している情報をまとめます。

家族や死因、代表曲まで、気になるところを見ていきましょう。

家族は四人兄弟で兄は声優の佐藤正治

佐藤公彦さんは1952年1月9日、東京都大田区馬込の生まれです。

四人兄弟の次男で、兄は声優の佐藤正治さんです。

え、そうだったの!?と驚いた方も多いのではないでしょうか。

お父さんは税理士で、ケメさん自身も最初は税理士になるつもりだったそうです。

中央大学商学部に進んだのも、その流れだったのかもしれませんね。

日刊ゲンダイの取材では、お父さんは大分から裸一貫で東京に出てきた人で、資産を残してくれたことに感謝していると話しています。

実家は、税理士の父と四人兄弟のにぎやかな家庭だったということです。

死因は心筋梗塞で葬儀は近親者のみ

佐藤公彦さんは2017年6月24日、心筋梗塞のため65歳で亡くなりました。

訃報が報じられたのは約1か月後の7月29日で、葬儀はすでに近親者で済ませたと伝えられています。

突然の知らせに、ファンだけでなく同じ時代を生きた仲間たちも大きなショックを受けました。

泉谷しげるさんはブログで「ケメくん逝く」と題して哀悼の気持ちをつづり、丸山圭子さんも幼なじみのような仲間が逝ったと悲しみを書いています。

正直、読んでいて胸が痛くなりました。

亡くなる直前まで、地道に定期ライブを続けていたそうです。

ケメさんは最後まで歌い手であり続け、家族に見送られて旅立ったということです。

自宅は都内の自宅兼用ビル

佐藤公彦さんの自宅は、都内にある自宅兼用のビルでした。

活動休止中からの本業はこのビルの管理運営で、本人も音楽だけでは生活できないと率直に話しています。

そのぶん音楽には気負わず向き合えたようで、これからはライブ中心にボチボチやっていく、音を楽しまなくちゃ、という言葉も残しています。

ファンを招いた自宅コンサートも、こうした住まいだったからこそ開けたのかもしれません。

暮らしを支える本業があったから、ケメさんは自分のペースで歌を続けられたということです。

代表曲の通りゃんせとバイオリンのおけいこ

ケメさんといえば、まず名前が挙がるのが「通りゃんせ」です。

シングルとしては1972年5月5日に発売され、ケメさんの代表曲になりました。

2009年、音楽活動再開のきっかけになったNHK-BS2の番組で歌ったのも、この「通りゃんせ」でした。

もうひとつよく検索されている「バイオリンのおけいこ」は、1974年3月10日にエレックレコードから出たシングルです。

曲名 発売 作詞
通りゃんせ 1972年5月5日 佐藤公彦・門谷憲二
バイオリンのおけいこ 1974年3月10日 永田幸一

どちらも、ケメさんの澄んだハイトーンを味わえる70年代の代表曲です。

メリーゴーランドはデビューアルバムの収録曲

「メリーゴーランド」は、1972年3月25日に出たソロ1作目のアルバム「Keme VOL.1 午後のふれあい」に入っている曲です。

1973年のライブ盤や、1974年12月の神田共立講堂でのリサイタル盤にも収められていて、ステージで繰り返し歌われてきた1曲なんです。

2008年のベストアルバムでは1曲目に置かれています。

メリーゴーランドは、デビュー当時から晩年のベスト盤まで大事にされてきた曲だということです。

ファンが今も語り継ぐケメの魅力

ケメさんは中性的でキュートなルックスと繊細な歌声で、10代の女性を中心に絶大な人気を集めました。

吉田拓郎さんの「剛」に対して、ケメさんは「柔」と呼ばれたアイドル的な存在だったそうです。

あおい輝彦さんとのラジオ番組『あおい君と佐藤クン』は8年続く長寿番組になりました。

ファンとのつながりは晩年まで続いていて、2012年1月9日にはファン主催の還暦記念オフ会にゲストとして参加しています。

亡くなったあとの2017年8月11日には、ファンクラブによる追悼ライブも開かれました。

今もファンサイトには、思い出を寄せるページが残っています。

ケメさんは、亡くなった今もファンの心の中で歌い続けているということです。

佐藤公彦(ケメ)の結婚相手のまとめ

  • 佐藤公彦(ケメ)は結婚していた
  • 結婚相手の名前・年齢・職業は公表されていない
  • 2010年の取材で本人が奥様を「家内」と呼んでいた
  • 2010年8月16日発売のアルバム「ぼくの日」は5曲を奥様が作詞
  • 2009年の復帰作には「ワイフのサイフは茜色」という曲がある
  • 丸山圭子がケメの結婚式のために「青春のレクイエム」を書いた
  • 結婚式の時期は明らかになっていない
  • 自宅コンサートでは奥様がファンにお抹茶を出していた
  • 子供の有無は公表されていない
  • 2012年の軽井沢の結婚報告は同姓同名の別人とみられる
  • 四人兄弟の次男で兄は声優の佐藤正治
  • 父は税理士で大分から上京した人物
  • 本業は都内の自宅兼用ビルの管理運営
  • 2017年6月24日に心筋梗塞で死去、65歳
  • 葬儀は近親者で済ませた

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