上柳昌彦の再婚相手は非公表!うさぎちゃんの名前が出たのは1983年のオールナイトニッポン

上柳昌彦の再婚相手は非公表!うさぎちゃんの名前が出たのは1983年のオールナイトニッポン

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ラジオの朝を30年以上も支えてきた上柳昌彦さんですが、検索窓に名前を入れると必ずと言っていいほど「再婚相手」という言葉が並びます。

実は上柳さんは二度結婚していることを自ら公にしていて、それなのに今の奥さんについてはほとんど語っていないんですよね。

しかも名前の分からないはずの再婚相手について、ネット上では40年以上前のラジオ番組にさかのぼる一人の女性の名前が流れ続けています。

この記事を読むとわかること
・上柳昌彦の再婚相手について公表されている情報と、されていない情報の線引き
・再婚相手として名前が挙がる「うさぎちゃん」という呼び名がどこから来たのか
・現在の妻との子供2人の生まれ年から見えてくる、再婚時期のおおよその目安

上柳昌彦の再婚相手は誰なのか

まずは一番知りたいところから見ていきましょう。上柳昌彦さんの再婚相手について、どこまでが公表されている事実で、どこからが憶測なのかをきっちり分けて整理していきます。

再婚相手の名前も職業も非公表

先に結論からお伝えしますね。上柳昌彦さんの再婚相手、つまり現在の奥さんについては、名前も年齢も職業も一切公表されていません。

アナウンサー本人の経歴を細かく追っているWikipediaの記述でも、私生活に触れている部分は「私生活では二度結婚」という一文と、現在の妻との間に子供が2人いるという一文の、たった2行だけなんです。

所属事務所であるミックスゾーンの公式プロフィールページにも、家族に関する記載はありません。

つまり奥さんの顔写真も出回っていませんし、旧姓も明かされていないということですね。

芸能人の妻というと同業のアナウンサーや女優さんを想像しがちですが、上柳さんの場合はそういった手がかりすら出てこないんですよ。

ここまで情報がないということは、裏を返せば奥さんが表に出る仕事をしていない一般の方である可能性が高いとも読めます。

上柳さんはラジオで自分の日常や家族の話題をわりと気さくに出す人ですが、それでも奥さん本人の属性が特定できるような話し方は避けているんですよね。

……なんか、そのさじ加減が上柳さんらしいなと思ってしまいます。

40年以上マイクの前に座り続けてきた人が、家族のことだけは静かに守っている。再婚相手が非公表なのは情報がないからではなく、本人が語らないことを選んでいるから、と考えるのが自然だと思います。

現在の妻との間に生まれた長女と長男

名前が分からない一方で、家族構成についてははっきりしている部分があります。

上柳さんには現在の奥さんとの間に2001年生まれの長女と2003年生まれの長男の2人の子供がいます。

この情報の出どころは他人の憶測ではなく、上柳さん自身がパーソナリティを務めていた『上柳昌彦 ごごばん!』の番組公式サイトです。

海釣りに出かけた話や、当時流行していた妖怪ウォッチをめぐる家庭内の会話など、番組ブログのなかで子供たちのことに触れているんですよ。

2026年の時点で計算すると、長女は25歳前後、長男は23歳前後ということになりますね。

上柳さんは1957年8月1日生まれですから、長女が生まれたのは43歳から44歳のころ。

アナウンサーとしてのキャリアで言えば『うえやなぎまさひこのサプライズ!』が始まる直前の時期にあたります。

……これ、けっこう大事な手がかりなんです。再婚相手の名前は出てこなくても、子供の生まれ年からは今の家庭がいつ始まったのかがおおよそ見えてくるからですね。

子供についても顔や名前は明かされていない

ちなみにお子さん2人についても、名前や顔写真は公表されていません。

番組のなかで語られるのはあくまで「うちの娘が」「息子が」といった呼び方で、進学先や勤務先が特定できるような話にはならないんですよね。

奥さんについての姿勢とまったく同じで、家族全員をそっと守るスタンスが徹底されている印象です。

二度の結婚と最初の妻とのエジプト旅行

「再婚相手」という言葉が使われる以上、当然その前に一度目の結婚があったことになります。

上柳さんが二度結婚していること自体は、本人が語った内容として記録に残っています。

有名なのが最初の奥さんとの新婚旅行の話で、旅行先はなんとエジプトだったそうなんです。

そして帰国して成田空港に降り立ったら年号が変わっていて、2人で顔を見合わせて唖然としたというエピソードを、雑誌『ラジオパラダイス』の1989年3月号で語っています。

日本で年号が変わったタイミングを考えると、この新婚旅行は昭和の最後の日々にあたっていたことになりますね。

海外にいる間に自分の国の元号が入れ替わっているって、そうそう経験できることじゃないですよ。

……想像するとちょっと面白いというか、忘れられない新婚旅行だっただろうなと思います。

ただ、この一度目の結婚がいつ終わったのか、その理由が何だったのかについては本人も周囲も一切語っておらず、公的な記録もありません。

離婚の時期も、当時の心境も、公表されていないんです。

だからこそ再婚相手は誰なんだろうという疑問だけが、ずっと検索され続けているんでしょうね。

名前が挙がるうさぎちゃんとは誰なのか

ここが、この記事で一番お伝えしたい部分かもしれません。

再婚相手の名前は非公表なのに、ネット上では「うさぎちゃん」という愛称の女性が上柳さんの妻として語られることがあります。

この呼び名の出どころははっきりしていて、1983年12月29日に放送された『谷山浩子のオールナイトニッポン』です。

その日は六本木から忘年会の様子をそのままオンエアしていて、お酒が入って上機嫌になった上柳さんが生放送中にきわどい発言をしたことでも語り草になっている回なんですよ。

そしてその番組内で、当時この番組ではがき整理のアルバイトをしていた山崎えりこさん(通称うさぎちゃん)と、上柳さんは結婚式ごっこをさせられています。

この一件は1984年3月号の『ラジオマガジン』に記録として残っていて、山崎さんが後に上柳さんの妻になったことも記されています。

当時の番組には「緊急ティーチ・イン」という不定期コーナーがあって、そこで上柳さんとうさぎちゃんの関係が議論の的になることが多かったそうです。

つまりリスナーみんなが見守るなかで進んだ関係だったわけですね。

……ラジオらしいというか、なんだかいい話じゃないですか。

ただし何番目の妻なのかは書かれていない

ここで慎重になりたいのが、山崎えりこさんが一度目の妻なのか、それとも再婚相手なのかを明記した資料はどこにもないという点です。

残っているのは後に上柳の妻となったという表現だけで、何番目の妻かまでは書かれていません。

ネット上にはうさぎちゃんこそ現在の奥さんだと断言している書き込みもありますが、その裏づけになる一次情報は確認できませんでした。

逆に、番組での結婚式ごっこが1983年、最初の奥さんとの新婚旅行が元号の切り替わりと重なっていたことを並べると、時系列としては一度目の結婚のほうに近いようにも見えます。

ただしこれはあくまで年表を並べたうえでの推測にすぎず、断定できる話ではありません。

うさぎちゃんという名前だけが独り歩きしている、というのが実際のところだと思います。

再婚の時期がはっきりしない理由

再婚がいつだったのかについても、公式な発表は見当たりません。

手がかりになるのは、繰り返しになりますが長女が2001年生まれという一点です。

そこから逆算すると、遅くとも2000年前後には現在の家庭が始まっていたと考えるのが自然ですね。

この時期の上柳さんは、テリー伊藤さんとのコンビ番組『テリーとうえちゃんのってけラジオ』を1998年3月にスタートさせ、昼のワイド枠で固定リスナーを増やしていた真っ最中でした。

深夜放送の顔から昼の顔へと役割が変わっていく、キャリアの転換点と家庭の再スタートが重なっていたことになります。

ネット上では2000年に元ニッポン放送の従業員と再婚したという記述も見かけますが、これを裏づける一次情報は見つかりませんでした。

本人の発言でも所属事務所の資料でもないので、再婚の年も相手の勤務先も、確定した情報としては扱えません。

はっきり分かっているのは、二度結婚したこと、今の奥さんとの間に2人の子供がいること、その2人が2001年と2003年に生まれたこと。

この3つだけなんですよね。

上柳昌彦の再婚相手を調べる人向けの関連情報

ここからは、再婚相手を調べている人が一緒に検索している話題をまとめて見ていきます。離婚の噂の出どころから、若い頃の活躍、現在のレギュラー番組まで順番に触れていきますね。

離婚したという噂はどこから出たのか

上柳さんと一緒に検索される言葉のなかで、特に多いのが離婚です。

この噂の出どころをたどると、意外なほど古い書き込みに行き着きます。

噂の検証をしているサイトでは、2007年1月11日付のQ&Aサイトへの投稿が根拠として紹介されていて、そこに私生活では離婚経験がある、現在の妻は2人目だと書かれていたことが分かっています。

つまり20年近く前の匿名の書き込みが、いまも離婚というキーワードを生き延びさせているわけですね。

そのサイト自体は裏づけになるものが何もないとして、信憑性を低く評価しています。

ただしWikipediaには本人が語った内容として二度結婚していることが明記されていますから、一度目の結婚が終わっていること自体は、噂ではなく記録として残っている事実です。

評価が分かれているのは離婚の有無ではなく、その理由や時期といった中身のほうなんですよ。

そしてその中身については、今のところ誰も語っていません。

子供は娘と息子の2人

検索候補に娘や息子が並ぶのも、家庭の話題への関心の高さのあらわれですね。

先ほど触れたとおり子供は2人で、上が娘、下が息子です。

整理すると次のようになります。

続柄 生まれ年 2026年時点の年齢
長女 2001年 25歳前後
長男 2003年 23歳前後

2人とも社会に出る年齢に差しかかっていることになりますが、進路や職業についての公表はありません。

子供の存在は明かしても、個人が特定される情報までは出さないというのが、上柳家の一貫したスタンスのようです。

若い頃はオールナイトニッポンの顔

いまの落ち着いた語り口を知っている人ほど、若い頃の上柳さんを知ると驚くと思いますよ。

1981年4月にニッポン放送へアナウンサーとして入社した上柳さんは、若手時代は深夜枠が主戦場でした。

『オールナイトニッポン』の月曜2部を担当し、その後もアマチュアバンドブームのなかで『HITACHI FAN! FUN! TODAY』『ぽっぷん王国』といった音楽番組を次々に任されています。

この時期についた愛称がうえちゃんで、いまも変わらず使われていますね。

番組内では複数のキャラクターを演じ分けていて、自分の苗字をもじったウナギマンというキャラでラジオコントをやったり、うなぎまさこという色っぽいキャラクターを登場させたりもしていました。

スタッフとバンドを組んで、その歌声をラジオで流したこともあるそうです。

……いまの朝の声からは、ちょっと想像できないですよね。

1986年には数か月間、ラジオ局のアナウンサーでありながらフジテレビの『夕やけニャンニャン』水曜日のMCも務めていました。

深夜の悪ふざけからテレビの司会まで、振り幅の大きさこそが上柳さんの土台になっているんだと思います。

学歴は都立新宿高校から立教大学へ

経歴の入口についても触れておきますね。

上柳さんは大阪府大東市の出身ですが、父親が転勤族だったため少年期は引っ越しを繰り返しています。

群馬県高崎市、兵庫県高砂市、金沢市、横浜市、小田原市、鎌倉市と各地を転々としたのち、東京に落ち着きました。

そして東京都立新宿高等学校を経て立教大学法学部を卒業しています。

アナウンサーを目指したきっかけも面白くて、高校時代に担任の先生から将来は何をやりたいんだと聞かれて答えに詰まっていたところ、何かしゃべることを仕事にしろよと勧められたのが最初だったそうです。

しゃべる仕事とは何かと聞き返したら、返ってきた答えがまあアナウンサーかな、というものでした。

大学では落語研究会の部室を覗いたものの留守だったので、隣の放送研究会にそのまま入部したという流れなんです。

本人も落研に入っていたら少なくともアナウンサーにはならなかっただろうと語っています。

先生の一言と、たまたま留守だった部室。この2つがなければ今の朝の声はなかったわけですね。

年収は非公表だが定年後も第一線

年収についても具体的な数字は公表されていません。

ただ、いまの立場を見れば安定した活動が続いていることは分かります。

上柳さんは2017年8月31日でニッポン放送を定年退職し、9月からはグループ会社に籍を置いて、退職時点で担当していた番組にそのまま出演を続けました。

現在は制作会社のミックスゾーンに所属するフリーアナウンサーです。

定年で番組が終わるどころか、そのまま朝の看板を持ち続けているというのは、なかなかできることではありませんよね。

2018年には初の著書『定年ラジオ』も刊行しています。

また『うえやなぎまさひこのサプライズ!』の人気コーナーから生まれた書籍『涙があふれて心が温かくなる話』シリーズは、第1弾の『車いすのパティシエ』が約10万部のベストセラーになり、その後も『母ちゃんダンプ』『80点コロッケ』が続いてヒットしました。

放送だけでなく書籍でも実績を積み上げてきた人、という見方が正確だと思います。

なお、ここで挙げた数字はあくまで公表されている範囲の目安であり、収入そのものを示すものではありません。

あさぼらけは2016年から続く朝の番組

現在の上柳さんといえば、やはり『上柳昌彦 あさぼらけ』ですよね。

この番組は2016年3月28日にスタートし、いまも早朝の時間帯を担当しています。

ほかに『笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ』にも出演していますね。

ここ数年は体調の話題も出ました。

2022年10月には激しい頭痛が続いて検査を受けたところ下垂体腺腫が判明し、同月12日から入院して手術を受けています。

退院後の11月1日には放送に突如乱入する形で顔を出し、翌日から正式に復帰しました。

……この復帰の仕方が、いかにも上柳さんらしくて好きなんですよ。

2024年1月にも喉の不調でドクターストップがかかり3週間ほど休養しましたが、2月8日には番組に戻っています。

休んでも必ず朝の席に戻ってくる。その積み重ねがあさぼらけという番組の安心感になっているんだと思います。

評判を支える防災パーソナリティの顔

上柳さんの評判を語るうえで外せないのが、防災パーソナリティという肩書きです。

これはニッポン放送で地震情報のアナウンスを担当する人に与えられる指定で、上柳さんはその一人なんですよ。

2011年3月11日の東日本大震災が発生したのは、『上柳昌彦 ごごばん!』の放送中でした。

スタジオで最大震度5強の揺れを感じながら、リスナーに向けて落ち着いた口調で対応を呼びかけ続けたことが記録に残っています。

毎年9月1日の防災の日と1月17日の防災とボランティアの日に放送される『ラジオ災害情報交差点』にも、ニッポン放送担当として出演してきました。

話術の面でも評価は高く、番組やリスナー層に合わせて話し方を細かく使い分ける技術から、エヴリタイム・エヴリバディOKのうえちゃんと呼ばれています。

2004年5月には『うえやなぎまさひこのサプライズ!』の功績で第41回ギャラクシー賞のDJパーソナリティ賞を受賞しました。

家庭のことは語らないのに、災害時には誰よりも語り続ける。そこが信頼を集めている理由なんでしょうね。

遠戚にファーストサマーウイカがいる

少し意外な話も添えておきますね。

上柳さんは、ファッションデザイナーの石津謙介さんと、タレントのファーストサマーウイカさんの遠戚にあたります。

この関係はウイカさん側がテレビで大叔父について語ったことから広まり、スポーツニッポンやORICON NEWSでも取り上げられました。

家族のことをほとんど語らない上柳さんの縁戚関係が、まさかこういう形で話題になるとは、という感じですよね。

上柳昌彦の再婚相手のまとめ

  • 上柳昌彦は私生活で二度結婚していると本人が語っている
  • 再婚相手にあたる現在の妻は名前も年齢も職業も非公表
  • 現在の妻の顔写真や旧姓も出回っていない
  • 所属事務所ミックスゾーンの公式プロフィールにも家族の記載はない
  • 現在の妻との間に2001年生まれの長女と2003年生まれの長男がいる
  • 子供の情報の出どころは番組公式サイトでの本人の発信
  • 最初の妻との新婚旅行先はエジプトだった
  • 帰国したら年号が変わっており成田空港で唖然としたと語っている
  • 一度目の結婚が終わった時期や理由は公表されていない
  • 再婚相手として名前が挙がる山崎えりこは通称うさぎちゃん
  • うさぎちゃんは1983年の谷山浩子のオールナイトニッポンではがき整理をしていた
  • 同番組で上柳と結婚式ごっこをした記録が雑誌に残っている
  • ただし何番目の妻なのかを明記した資料はなく断定はできない
  • 2000年に元ニッポン放送従業員と再婚したという説は一次情報が確認できない
  • 離婚の噂の根拠は2007年のQ&Aサイトへの匿名投稿とされる
  • 長女の生まれ年から2000年前後には現在の家庭が始まったとみられる

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