大和田獏さんの再婚について気になって、ここにたどり着いた方は多いのではないでしょうか。
妻の岡江久美子さんを2020年に亡くしてから、獏さんは料理をインスタに載せ、娘や孫と同じ屋根の下で暮らす日々を送っています。
親子で組んだユニットの名前に、久美子さんの名前がそっと残されていると知ったとき、正直じんわりきました。
・大和田獏の再婚が発表されているのかどうか
・妻・岡江久美子と死別してからの5年間の暮らし
・娘の大和田美帆や孫との二世帯住宅での現在
大和田獏の再婚は公表なし!死別後の現在
まずは、いちばん気になる再婚の有無からはっきりさせていきますね。
そのうえで、獏さんが妻を亡くしてからどんな毎日を送ってきたのかを順番に見ていきましょう。
再婚の発表は現在まで確認できず
結論からお伝えします。
大和田獏さんが再婚したという発表は、2026年9月時点で確認できません。
所属事務所からの発表もなければ、本人がテレビや雑誌のインタビューで再婚に触れた記録も見当たらないんですよね。
週刊誌が交際相手を報じたという話も出てきません。
獏さんは2020年4月に妻の岡江久美子さんを亡くして以来、独身のままという状態が続いています。
ネット上で「再婚相手」というキーワードが検索されているのは、再婚したという情報があるからではなく、むしろ逆なんです。
あれだけ仲の良い夫婦として知られていた人が、その後どうしているのかを知りたい人が多い。
だからこそ「再婚したのかな」という形で検索されている、というのが実態に近そうです。
実際、獏さんの近況として報じられてきたのは新しいパートナーの話ではなく、料理や家族との時間の話ばかりでした。
妻・岡江久美子と死別したのは2020年4月
獏さんが独身に戻ったのは、離婚ではなく死別によるものです。
岡江久美子さんが亡くなったのは2020年4月23日の午前5時20分、新型コロナウイルス感染症による肺炎でした。
享年63歳。
朝の情報番組で長く司会を務め、明るい笑顔がお茶の間に定着していた人だっただけに、あまりに突然の訃報でしたよね。
当時は感染対策のために家族が面会することもできず、獏さんと娘の大和田美帆さんは最期の時間をそばで過ごせないまま別れることになりました。
これは……想像するだけで胸が締め付けられます。
岡江久美子が感染するまでの経緯
報じられている時系列を並べると、久美子さんの体調の変化は前年の暮れから始まっていました。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 2019年12月末 | 初期の乳がんと診断され手術を受ける |
| 2020年1月末〜2月中旬 | 放射線治療を受ける |
| 2020年4月3日 | CT検査で肺に影が見つかる |
| 2020年4月6日 | 容態が急変し入院 |
| 2020年4月8日 | PCR検査で陽性が確認される |
| 2020年4月23日 | 肺炎のため死去 |
手術と放射線治療を終えた直後というタイミングでの感染でした。
診断から2週間あまりで亡くなっているという速さも、当時の報道で大きく取り上げられた部分です。
再婚相手の噂が広がらない背景
芸能人が配偶者を亡くすと、しばらくして「再婚か」という記事が出ることは珍しくありません。
ところが獏さんの場合、そうした報道がほとんど見当たらないんですよね。
ここは推測になりますが、公開されている情報を並べると理由が見えてきます。
ひとつは、獏さんが久美子さんの話を今も公の場で語り続けていること。
2023年には妻を亡くしてから3年経った胸の内をテレビで語り、2025年には死別から5年を経てのインタビューにも応じています。
もうひとつは、獏さんの生活の中心が家族に置かれていること。
娘や孫との暮らし、そして自炊の様子が発信されていて、そこに新しいパートナーの気配が入り込む余地がありません。
つまり、再婚の噂が出ないというより、獏さんが妻との時間を語り続けているぶん、噂が入る隙間がないという状態だと言えそうです。
ひとりの食卓を公開したばくめし
久美子さんを亡くしたあと、獏さんが始めたのが料理の投稿でした。
きっかけは娘の美帆さんです。
獏さんが「こんなの作ったよ」と料理の写真を美帆さんに送っていたところ、「インスタグラムでも始めて、料理をアップしてみたら?」と勧められたそうなんです。
そうして2020年9月にインスタグラムのアカウントを開設し、自分の食卓をばくめしと名付けて投稿を始めました。
これが大きな反響を呼びます。
「見てくれた人が反応してくれるのが、本当にうれしくてね」と語っていて、読んでいるこちらまで温かくなりました。
投稿の中には、久美子さんが新婚時代に作ってくれた鯛のかぶと酒蒸しのレシピを受け継いだものもあります。
妻のいない食卓を、妻から教わった料理で埋めていく。
この反響はやがて出版社からの声かけにつながり、2025年11月には『ひとりごはんも愛しい ばくうま ばくめし』を出版しています。
ひとりで食べることを寂しさとして語るのではなく、自分を大事にすることにつながる行為として語っているのが印象的でした。
娘・美帆と孫との二世帯暮らし
獏さんは久美子さんを亡くしたあと、しばらくは自宅でひとり暮らしをしていました。
その状況が変わったのが、娘の美帆さんとの同居です。
美帆さんは離婚を経て娘とふたり暮らしをしていた時期があり、当時は父との同居について「絶対にないと思っていた」と語っていました。
その考えを変えたのが、母である久美子さんの死でした。
父が眠れない夜を過ごすことがあると知り、家族の距離を考え直したんですね。
2025年11月放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」で、獏さんは4年前から娘の美帆さんと孫との3人で二世帯住宅に暮らしていると語っています。
二世帯住宅というのがポイントで、同じ建物にいながらそれぞれの生活は分かれている形です。
実際、親子の関係は「友達のような関係」と表現されていて、一緒に食事をしたり料理の写真を送り合ったりしながら、ほどよい距離を保っているようです。
再婚という選択の代わりに、獏さんが選んだのは娘や孫と支え合う暮らしだったということになります。
……なんか、いいですよね。
孫は今夏からタイへ単身留学
その暮らしにも変化がありました。
同居している孫は10歳でタイへ単身留学し、現地の学校に転入しています。
帰国がいつになるかは決まっていないそうです。
10歳でひとり海外へ、というのは驚きませんか。
生前の久美子さんは、この孫の自立心の強いところを「わたしに似ている」と語っていたといいます。
おばあちゃんの見立てが、こういう形で当たっていくのは面白いですね。
親子ユニットBAKUMIHOに残した久美子の名
獏さんと美帆さんは、親子でユニットを組んでいます。
名前はBAKUMIHO。
獏さんの芸能生活50周年と、美帆さんの20周年が重なるタイミングで記念公演を開くことになり、そこで生まれた名前です。
この名前の由来が、個人的にすごく好きなんです。
獏さんと久美子さんは外食のときにボトルへ名前を書く習慣があり、ふたりの名前を合わせて書いていました。
久美子さんが亡くなったあと、行きつけの寿司屋から、久美子さんが最後に書いたBAKUMIKOと記されたボトルが出てきたそうです。
そこから名付けられたのがBAKUMIHOでした。
美帆さんいわく、獏と美帆のあいだに久美子が入っている構成になっている、とのこと。
……これ、じんわりきますよね。
記念公演は2023年11月17日にTokyo FMホールで開催され、親子の対談、美帆さんの歌唱、そして獏さんが初めて書いた戯曲の朗読劇が上演されました。
テーマに掲げられていたのは親子愛と、許し合うこと、大切にしたいものです。
再婚を巡る世間の受け止め
獏さんの近況が伝えられるたび、ネット上には反応が集まっています。
ひとつは、再婚を望む声より「無理をしないでほしい」という声のほうが目立つことです。
久美子さんとの夫婦像が広く知られていたぶん、新しい相手を探してほしいという方向にはなりにくいのかもしれません。
もうひとつは、料理を通じて生活を立て直していく姿への共感です。
同じように配偶者を亡くした人から、ばくめしの投稿に励まされたという声も寄せられています。
そしてもうひとつが、外見の変化への驚きでした。
近年の獏さんの姿が報じられた際には「一瞬わからなかった」といった反応が並び、話題になっています。
再婚の有無そのものより、獏さんが元気に暮らしているかどうかに関心が集まっている、というのが世間の受け止めに近そうです。
大和田獏の再婚を調べる人向けの関連情報
ここからは、再婚を調べている方が一緒に気にしていることをまとめていきますね。
妻との馴れ初めから家族構成、経歴まで順番に見ていきましょう。
妻・岡江久美子との馴れ初めは連想ゲーム
獏さんと久美子さんが出会ったのは、NHKのクイズ番組「連想ゲーム」でした。
獏さんは1976年から、久美子さんは1978年から番組に出演しています。
番組内では紅白のチームに分かれ、同じ席順で直接対決する関係にありました。
毎週のように顔を合わせるうちに交際に発展し、1983年に結婚しています。
共演期間はおよそ5年。
クイズ番組で向かい合っていたふたりが夫婦になるというのは、なかなかドラマチックですよね。
結婚後の夫婦生活については、性格が対照的だったことがよく語られています。
獏さんは計画を立てるロマンチストなタイプ、久美子さんは合理的でおおらかなタイプ。
夫婦げんかも多かったそうで、久美子さんが窓から「大和田獏が妻をイジメています」と叫んだというエピソードまで残っています。
けんかの話まで笑い話にできる関係というのが、この夫婦らしいところだと思います。
家族構成は娘の美帆と孫のひとり
獏さんの家族構成を整理すると、次のようになります。
| 続柄 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 妻 | 岡江久美子 | 女優・司会者。2020年4月23日死去 |
| 長女 | 大和田美帆 | 1983年8月22日生まれの女優・タレント |
| 孫 | 非公表 | 美帆の娘。2025年時点で10歳 |
| 兄 | 大和田伸也 | 俳優 |
| 義姉 | 五大路子 | 女優。伸也の妻 |
子どもは長女の美帆さんひとりです。
美帆さんは1983年8月22日生まれで、獏さんと久美子さんが結婚した年に誕生しています。
孫については名前も顔も公表されておらず、美帆さんのSNSでも呼び名で紹介される形が取られています。
獏さんの実母は、久美子さんが亡くなった翌年に98歳で亡くなっています。
妻を見送った翌年に母も見送るという、続けざまの別れだったんですね。
兄は俳優の大和田伸也
獏さんの兄は、俳優の大和田伸也さんです。
兄弟そろって俳優という家系で、テレビで顔を見る機会も多いですよね。
ふたりは1981年のNHK大河ドラマ「おんな太閤記」で兄弟共演を果たしています。
伸也さんの妻は女優の五大路子さんで、獏さんにとっては義理の姉にあたります。
大和田家は俳優が並ぶ一家という見方をされることが多く、獏さんと久美子さん、美帆さんという流れも含めて芸能一家として知られてきました。
年齢は75歳、福井県敦賀市の出身
獏さんの基本プロフィールをまとめておきます。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 本名 | 大和田芳朗 |
| 生年月日 | 1950年10月13日 |
| 年齢 | 75歳(2026年9月時点) |
| 出身地 | 福井県敦賀市 |
| 身長 | 170cm |
| 血液型 | AB型 |
| 学歴 | 名古屋市立菊里高等学校卒業、名古屋市立大学経済学部 |
福井県敦賀市の生まれで、その後に名古屋へ移り、名古屋市立菊里高等学校へ転入して卒業しています。
進学したのは名古屋市立大学の経済学部で、俳優を志すルートとしては少し珍しい経歴ですよね。
若い頃のデビューと司会業の経歴
獏さんが芸能界に入ったのは1973年、テレビドラマ「こんまい女」への出演がきっかけでした。
そこから俳優として活動しつつ、クイズ番組や情報番組の司会・回答者としても顔を出すようになります。
妻となる久美子さんと出会った「連想ゲーム」も、その流れの中にある番組でした。
穏やかな語り口と柔らかい表情が持ち味で、俳優と司会の両方をこなす人という立ち位置を長く保ってきた人です。
所属事務所については、2023年2月末に16年在籍したスタッフ・アップグループを退所し、トム・プロジェクトへ移籍しています。
トム・プロジェクトは舞台の制作を手がける事務所で、移籍後は舞台の仕事にも力を入れている様子がうかがえます。
デビューから50年以上。
妻を亡くしたあとも、俳優としても発信者としても止まっていないのがすごいなと思います。
大和田獏の再婚のまとめ
- 大和田獏の再婚は2026年9月時点で発表されていない
- 事務所発表・本人の言及・交際報道のいずれも確認できない
- 独身に戻ったのは離婚ではなく妻との死別によるもの
- 妻の岡江久美子は2020年4月23日に新型コロナによる肺炎で死去
- 久美子は前年末に初期の乳がん手術を受け、放射線治療を終えた直後だった
- 獏は死別後もテレビや雑誌で久美子について語り続けている
- 2020年9月に娘の勧めでインスタグラムを開始しばくめしを投稿
- 2025年11月には料理をまとめた著書を出版している
- 4年前から娘の大和田美帆、孫と二世帯住宅で暮らしている
- 美帆はかつて父との同居は絶対にないと考えていたと語っていた
- 同居する孫は10歳でタイへ単身留学し帰国時期は未定
- 親子ユニットBAKUMIHOの名は久美子が書いたボトルの文字が由来とされる
- 妻との出会いはNHKの連想ゲームで共演期間は約5年
- 兄は俳優の大和田伸也で1981年の大河ドラマで兄弟共演している
- 1950年10月13日生まれの75歳で福井県敦賀市の出身

