ムード歌謡の名曲を歌い続けた三条正人さんと、女優の香山美子さん。
芸能界きっての「おしどり夫婦」として知られたおふたりですが、そもそもどこで出会って、どうやって結ばれたのか——気になっている方は多いのではないでしょうか。
実はきっかけは、1本のテレビ番組での共演でした。しかもそこから結婚までには、意外なほど長い時間が空いているんです。
・三条正人と香山美子が出会った番組名と放送日
・共演から1973年5月の結婚までに何年かかったのか
・結婚年に1973年説と1975年説が並ぶ理由
三条正人と香山美子の結婚前の馴れ初め
まずは、おふたりが出会ってから結婚に至るまでの流れを順番に見ていきますね。
出会いの場所も、どちらから好きになったのかも、実ははっきり記録が残っています。
出会いは1971年12月のフジテレビ『ラブラブショー』
三条正人さんと香山美子さんの接点が生まれたのは、1971年12月17日に放送されたフジテレビ『ラブラブショー』でした。
この番組は、芸能人やタレントが公開でお見合いをするという形式のバラエティ番組です。
つまりおふたりは、ドラマの現場でも歌番組の楽屋でもなく、いわば「出会うために作られた場」で顔を合わせたことになります。
当時の三条正人さんは、鶴岡雅義と東京ロマンチカのリードボーカルとして『小樽のひとよ』『君は心の妻だから』を立て続けにヒットさせていた時期。
一方の香山美子さんは、松竹の看板女優として映画からテレビへ活動の軸を移しつつあったころでした。
歌謡界とドラマ界、それぞれの第一線にいたふたりが1本の番組で並んだわけですから、この共演がなければ、おそらく接点は生まれていなかったと言っていいと思います。
『ラブラブショー』とはどんな番組だったのか
『ラブラブショー』は1970年代のフジテレビで放送されていた公開お見合い形式の番組です。
芸能人同士が番組内で相手を選び合うという企画で、当時としてはかなり大胆な作りでした。
ここで生まれた縁が、結果として40年以上続く夫婦の始まりになったと考えると、なんだか不思議な感じがしますよね。
一目惚れしたのは三条正人のほうだった
気になるのは「どちらから好きになったのか」ですよね。
複数の芸能メディアで一致しているのは、三条正人さんのほうが香山美子さんに一目惚れしたという説明です。
番組で顔を合わせたあと、三条正人さんが熱心にアプローチを重ね、それがきっかけで交際が始まったと伝えられています。
当時の香山美子さんは、映画・テレビの両方で主演を張る立場。声をかけるほうにとっては、相当に勇気の要る相手だったはずです。
……そう考えると、押し切った三条正人さんの行動力はなかなかのものだと思いませんか。
ただし、この「一目惚れ」「猛アプローチ」というくだりは、おふたりの公式なプロフィールに明記されているわけではありません。
複数の芸能メディアが同じ内容を伝えているという性質の情報なので、そこは踏まえて読んでいただければと思います。
数年の交際を経て1973年5月に結婚
共演したのが1971年12月、そして入籍は1973年5月。
各種の経歴資料では、この間について「数年間の交際を経て」と表現されています。
ここ、少し引っかかりませんか。番組で出会ってすぐ結婚、という展開ではないんですよね。
結婚を発表した時点で、三条正人さんは30歳、香山美子さんは29歳。おふたりとも、仕事がいちばん忙しい年代です。
三条正人さんはグループの顔として全国を回り、香山美子さんは1970年から『銭形平次』のお静役に入っていました。
互いのスケジュールを考えれば、交際期間が長く伸びたのはむしろ自然なことだったのかもしれません。
出会いの場は用意された番組でも、そこから結婚までは時間をかけて積み上げた関係だった——というのが、記録から読み取れる流れです。
出会いから結婚までの時系列
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 1971年12月17日 | フジテレビ『ラブラブショー』で共演 |
| 1971年〜1973年 | 数年間の交際期間 |
| 1973年5月 | 結婚(三条正人30歳・香山美子29歳) |
| 1983年6月 | 長男が誕生 |
| 2017年10月5日 | 三条正人が死去し死別 |
結婚の時期には1975年説もある
調べていくと、結婚年について別の数字を挙げている情報にも行き当たります。
具体的には1975年5月22日という日付を記載しているものがあるんです。
一方で、おふたりそれぞれの経歴をまとめた資料はそろって1973年5月としています。
どちらが正しいのかを断定できる一次情報は確認できませんでした。
ただ、時期がずれる理由として考えられるものはいくつかあります。入籍と結婚披露宴の時期が離れていた場合や、発表のタイミングと入籍日が別だった場合です。
芸能人の結婚では、報道された日と戸籍上の日付が一致しないことは珍しくありません。
現時点で広く採用されているのは1973年5月のほうで、1975年説は少数派という整理になります。
結婚後も続いたメモで会話する習慣
結婚後のおふたりについて、よく語られているエピソードがあります。
それが、どんなに忙しくてもメモを残して会話するよう心がけていたという習慣です。
歌手はステージで地方を回り、女優は撮影所に入る。生活の時間帯が合わない日は、いくらでもあったはずです。
顔を合わせられない日でも言葉だけは切らさない、という工夫だったのだと思います。
……なんか、いいですよね。派手なエピソードではないのに、40年以上続いた夫婦の形がそこに出ている気がします。
出会いはテレビ番組でも、その後を支えたのはこうした地味な積み重ねだったのでしょう。
三条正人と香山美子の結婚前の馴れ初めを調べる人向けの関連情報
ここからは、馴れ初めと合わせてよく検索されている話題をまとめていきます。
おふたりの息子さんのことや、三条正人さんの最期についても触れていきますね。
長男が生まれたのは結婚から10年後の1983年6月
おふたりの間には、1983年6月に長男が誕生しています。
1973年5月の結婚から数えると、ちょうど10年後です。
このとき香山美子さんは39歳。当時の感覚でいえば、かなり遅い出産だったといえます。
子どもは長男ひとりで、ほかにきょうだいがいるという情報は確認できませんでした。
結婚から10年、39歳で授かったひとり息子ですから、大切に育てられたであろうことは想像がつきます。
息子の職業には医師説と会社員説がある
息子さんの職業については、情報が食い違っています。
ひとつは、大学の医学部を卒業して都内の総合病院で外科医として勤務しているという説。芸能メディアの多くがこちらを伝えています。
もうひとつは、香山美子さんが2016年に受けたインタビューで、息子さんを「普通の会社員」と表現していたという説です。
どちらも同じ人物についての情報なので、本来なら一致していないとおかしいはずですよね。
ここは時系列で考えてみると、少し見通しが立ちます。医師になるまでの研修期間と、インタビューの時期が重なっていた可能性です。
もっとも、これはあくまで筆者が年代を並べて考えたことで、裏づけがある話ではありません。
息子さんは一般の方であり、職業を断定できる公式な情報は出ていない——というのが正確なところだと思います。
三条正人の死因はマントル細胞リンパ腫
三条正人さんは2017年10月5日、東京都渋谷区の病院で亡くなりました。74歳でした。
死因はマントル細胞リンパ腫。悪性リンパ腫の一種です。
亡くなる1年ほど前から足のむくみがひどくなっていたとも伝えられています。
香山美子さんにとっては、1973年の結婚から44年連れ添った相手との死別ということになります。
正直、この年数を数えたときは少し胸が詰まりました。テレビ番組での共演から始まった関係が、そこまで続いたわけですから。
本名と正式な表記について
三条正人さんの本名は渡辺正好さん。1943年1月30日生まれ、滋賀県大津市の出身です。
芸名は「三條正人」と旧字体で表記されることも多く、公式なプロフィールではこちらが使われています。
香山美子さんの本名も、結婚後は渡辺紀子さん(旧姓・岩本)となっています。
最後のステージは2017年9月の群馬県富岡市
三条正人さんが最後に舞台に立ったのは、2017年9月17日、群馬県富岡市のかぶらホールでした。
ロス・インディオスの55周年記念コンサートにゲスト出演した、というのが最後の記録です。
亡くなったのは、そこからわずか半月あまり後のこと。
最後の最後までステージに立ち続けた歌手だったということになります。
香山美子の若い頃はリカちゃん人形のモデル説も
香山美子さんは1944年1月1日生まれ、東京都練馬区の出身です。
小学6年生のころに児童劇団こまどりへ入り、子役として活動を始めました。
1961年には映画『ご機嫌はりきり娘』で本格デビューし、翌1962年に松竹へ入社しています。
そしてよく語られるのが、リカちゃん人形のモデルになったのではないかという説。
リカちゃん人形の設定上の本名が「香山リカ」であることから、名前の近さを指摘する声が長く続いています。
ただしこれは公式に認められた話ではなく、あくまで一致から生まれた説として受け取っておくのが妥当です。
『銭形平次』のお静役を14年間演じた
テレビでの代表作といえば、やはり『銭形平次』でしょう。
平次の妻・お静役を第209話から最終回の第888話まで、実に14年にわたって演じ続けました。
三条正人さんとの結婚生活のほとんどが、この長期出演と重なっていたことになります。
香山美子の現在は絵を描いて気ままに暮らす日々
夫を見送ったあとの香山美子さんは、どのように過ごしているのでしょうか。
2016年のインタビューでは「もっと力を抜いて、自分の人生を楽しみたい」と語っていたことが伝えられています。
実際、油絵を描いて展覧会に出展したり、ジムに通ったりという暮らしぶりが紹介されています。
1944年生まれですから、2026年で82歳。
俳優としての露出は減っているものの、自分のペースで日々を楽しんでいるという姿が伝わってきますね。
おしどり夫婦としての世間の評価
おふたりに対する世間の受け止め方は、おおむね温かいものです。
公開お見合い番組がきっかけという出会い方そのものが、いまとなっては昭和らしいエピソードとして語られています。
また、離婚や別居といった話題が一度も出ないまま44年を過ごしたことへの評価も目立ちます。
三条正人さんが亡くなった際には、『小樽のひとよ』『君は心の妻だから』といった楽曲とともに、夫婦としての歩みを惜しむ声が多く上がりました。
歌手と女優という別々の世界にいながら、最後まで並んで歩いた夫婦——それが、おふたりに対する共通した見方だといえます。
三条正人と香山美子の結婚前の馴れ初めのまとめ
- 出会いは1971年12月17日放送のフジテレビ『ラブラブショー』での共演
- 『ラブラブショー』は芸能人が公開でお見合いをする形式の番組だった
- 一目惚れしたのは三条正人の側だったと複数の芸能メディアが伝えている
- 番組後に三条正人がアプローチを重ねて交際が始まったとされる
- 共演から数年間の交際を経て1973年5月に結婚
- 結婚時の年齢は三条正人が30歳、香山美子が29歳
- 結婚年については1975年5月22日とする情報もあり一致していない
- 広く採用されているのは1973年5月のほうで1975年説は少数派
- 結婚後は忙しくてもメモを残して会話する習慣を続けていたと伝えられる
- 長男は結婚から10年後の1983年6月に誕生し香山美子は当時39歳
- 息子の職業は外科医とする説と普通の会社員とする説があり断定できない
- 三条正人は2017年10月5日にマントル細胞リンパ腫のため74歳で死去
- 最後のステージは2017年9月17日の群馬県富岡市かぶらホール
- 香山美子は『銭形平次』のお静役を14年間演じた
- 現在の香山美子は油絵の出展やジム通いなど気ままな日々を送っている

